浄土を修める者が娑婆世界で修行に励む時、意根と如来蔵が極楽浄土に蓮台を化現するのは業種である。業種が成熟すれば、死後に極楽浄土の蓮華に化生する。これが修行の果報である。修行時に蓄えた業種が成熟し、極楽浄土で善報を受ける。意根が意識を離れて極楽浄土に蓮台を出現させるのも、業行に属し修行の果である。しかしこの果が最終的に得られるかは因縁次第で、種子が成熟するかどうかにかかる。修行が退転すれば未熟な種子は枯れ、極楽浄土の蓮台は消失し、臨終往生は叶わない。
一夜眠り明けた朝、意識が目覚めた時、ある事柄を悟り道理を理解する。夜中に意識が現れない間、完全に意根単独の思想活動により、結果として事理を悟る。これも業行に属し、種子を蓄え、果報を生む。意根が徹夜で念仏・念咒するか、あるいは参禅する場合、意識が現れなくても修行であり、最良の修行・最上の修行となる。これも業行に属し、種子を蓄え、果報を生む。ただし意根単独の思想活動や参究活動は、過去に意識と共に修行し意識に薫染された結果であるため、意根単独の業行も果に属する。
もし意根が夜半に人と仏法を論じれば、智慧を増長できる。観世音菩薩に夜中に法を請えば、菩薩が忍耐強く解答され、目覚めた後意識が理解し仏法の甘露を得る。大病を得た時、意根が夜中に仙人や菩薩に薬を乞い服用すれば、翌日目覚めて病が癒える。これも業行に属し、果報である。
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