衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す
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書籍作品
二乗の解脱
《雑阿含経第一卷の選講》
《観行五蘊我見を断つ(第一部)(第二版)》
《五蘊の観行による我見の断ち(第二部)》
《四念処経講記(第二版)(新修正)》
《七覚分略説》
《阿含経十二因縁釋》
《四念処の観行体験》
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生如法師
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最新の開示
如何に観行すれば見道できるか(意根訓練篇)
旋見循元即意根円通の法門―意根訓練編
識と意根の所見の相違
念力の作用
適切な観行の所縁の選び方(意根訓練篇)
大迦葉菩薩の意根円通法門(意根訓練篇)
意根会得の殊勝境
なぜ衆生は豚肉を食べることができないのでしょうか?
非器は器となり得るか
経典を読むことで最大の利益を得る方法とは(意根修養編)
薬師経による意根の善悪性の証明
精気満ちて淫欲を思わぬ原理
観行・観想・観察と想像の区別
我見を断つことと参禅の次第に関する問題
「患得患失」という成語を考察するステップ(意根訓練編)
日常生活における意根の訓練(意根訓練編)
楞厳経における意根の訓練方法:鼻端の白を観ずる(意根訓練篇)
四念処経における意根の訓練法(意根訓練篇)
道と術の関係
雑学は正精進ではありません
悟りを開く前の正しく如理なる参禅の修練
ランダムな開示
真に我見を断つことができてこそ、初めて捨てられる
金剛経における唯識の深義(七十一)
悟り後の心行の転換
識心の認識がどの程度に達したら智と呼べるのか
一切法の生住異滅は業種によって主導される
業の種が枯れる法理について(一)
父子合集経講話(三〇)
一切の法は唯如来蔵によって造られたものです
一切は唯心より造られる
唯識の視点から見る脳の「代償機能」
第八識の六境に対する現れ
六根円通
誰とも敵対せず、怨みを結ばないでください
死後、意識がないときに悟りを開くことは可能でしょうか
内六境と外六境の関係
観行においても貪瞋痴の根源を内観すべきである
意根が恒に審査思量するとき、念はあるのか
意識の知を以て知とするこそが無明なり
直観と参禅の関係
一切法は如来蔵性なり
禅定と仏法実証