衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2020年04月17日    金曜日     第1開示 合計2275開示

想像と推理は実証に等しくない

例えば白骨観来说めば、想像によって描き出された白骨は、意識心の思惟・分析の作用にすぎず、白骨の定果色は現れず、三昧 (samādhi) の成就もないので、虚幻の中の虚幻といえます。自動的・自覚的に現前する白骨は、意根と意識が同時に証見したものであり、定果色が現れており、三昧 (samādhi) の境界です。これも虚幻ではありますが、想像のものよりはるかに真実に近いのです。

意根が自ら証得した法には、すべて一定の真実性があります。意識が推理・推論して得た法には、真実性というものがなく、したがって身心世界にはほとんど影響を与えず、以前の心理状態とほとんど変わりません。修行の過程と結果は、いずれも身心世界を変化させるものであり、無始劫以来、最初に仏法に出会い、信受して修行を始めたその時から、身心世界は変化し始めます。真に我見 (ātma-dṛṣṭi) を断じて初めて、一つの明らかな転換点となり、三果に至ると転換はさらに大きくなり、その後も順次絶えず変化を続け、ついに成仏して三十二相が現れ、身心世界の転換は終わり、それ以上は変化しなくなります。

そして身心の転換はすべて意根によって促されるものであり、意根がどれだけ証得すれば、それだけ転換します。証果せず我見 (ātma-dṛṣṭi) を断っていない段階の三十七道品の実修の過程においても、身心は少しずつ変化し始めています。真に仏を信じている人は、まだ本格的に修行していない段階でも、身心にはある程度の変化が生じ、一年ごとに変化し、それによって身近な縁ある人々をも感化して仏を信じるように導くことさえあります。ある人たちが言うように、三果を証得するのを待って初めて身心が変化し始めるというのではありません。衆生の身心の明らかな転換は、我見 (ātma-dṛṣṭi) を断つことから始まるものであり、三果の時には初禅定 (dhyāna) によって煩悩を断除するので、身心の転換は比較的大きく、前後の違いが明瞭に現れます。

——生如法師の開示
前へ前へ

意根の単独の活動も業行と果報に属する

次へ 次へ

連体人五陰身の運行メカニズムを解き明かす

ページトップへ戻る