衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年04月18日    土曜日     第1 回の開示 合計2276回の開示

連体人五蘊の身の運行メカニズムを解明する

一対の双頭の連体姉妹がおり、身体の大部分を共有している。心臓より上の部分はそれぞれ独立しており、一人につき腕一本、脚一本を持ち、中焦と下焦は一部を共有している。身体全体の二分の一から三分の二がそれぞれ独立した部分である。姉妹の脊椎は骨盤部で融合しており、一部の神経系を共有し、一組の生殖器官を共用している。二人は共に自転車に乗り、球技をし、泳ぎ、自動車を運転することができる。

二人は共に母胎に入り住胎し、胎内において二人の如来蔵が業種に従って身体の共通部分と各々異なる部分を変造した。当然ながら彼女たちは共通の業種を持ち、過去に共通の業行を造作し、前世で極めて密接な関係を結び、多くのものを共有したため、今世では一つの身体を共用し、緊密に協調して共に生きなければならない。協調しなければ、二人とも生存できない。これが業障であり、極めて不自由で独立できない業障である。故に人々の関係は適切な距離を保つべきで、過度に親密になるべきではなく、来世において如何様にするかと誓うべきでもない。未来世で本当にその様な状況になれば、必ずしも楽しいものではなく、寧ろ非常に苦痛を伴うものである。

二人の如来蔵は同じ業種に基づき、四大種子を出力して共通の四大となり、和合して作用し身体の共通部分を形成する。各々独立した部分は、それぞれの如来蔵が単独で四大種子を出力して変造する。色身が少しずつ完成する時、二人の如来蔵は各々意識を生じ、二つの覚知が現れる。胎満すれば共に出生し、連体姉妹となる。幸い二人は同性である。もし異性であれば、共に生活するのは甚だ困惑を来たしたであろう。

二人の手と脚は共同で協調する必要があり、食事や着衣、歩行などの五陰活動は二人が共同で調和を図らねばならない。頭脳の思考は各々異なり、習気や嗜好も異なり、性格や気質も異なる。連体している以上は互いに譲り合って調整しなければ、甚だ愉快ではない。各々呼吸と心拍を持ち、飲食は各々の胃に入る。個人の食事は個人が飽きるが、胃より下部では消化系の共通部分により共同で消化され、共通の排泄システムで排出される。各々が別々に食事をしても、相互に影響を及ぼす。一人が病気になれば、もう一人が代わりに薬を服用できる。

二人は一部の神経系を共有しているため、外界への反応は比較的一致し、対応方法も似通っている。二人の意根は性情が異なるが、善縁があるため、共通の人事物に対し互いに協調し譲り合う。ここから見れば、二つの如来蔵の分業と協調は実に微細かつ微妙である。如来蔵は遍知であるから、業種が許す限り、必ずや密接に協調し、言葉や心念を用いずに調和の仕事を完成させる。まさに不可思議である。

六識の中で、二人の身識の相互協調が最も多く、ほとんど常に協調し合わなければ何事も成し得ない。神経系が相互に関連しており、互いに感知できるためである。二人の眼根は各々の頭部にあり、眼識は各々使用するが、一つの身体にあるため、直面する物色も大差なく、眼界は制限を受ける。耳根は二つの頭部にあり、各々耳識を持ち、別々の音を聞く。鼻根は各々の頭部にあり、各々鼻識を持ち、別々の香りを嗅ぐ。舌根は各々の頭部にあり、各々舌識を持ち、別々の味を嘗める。意根は各々異なり、意識は各々の勝義根にあり、異なる法を思惟し了別する。

二人の五陰身が活動する時、二組の八識は互いに緊密に協調しなければならない。各々分業があり、十六識の分業協力に相当し、八識より遥かに複雑である。腹部の下焦はほとんど共用されているため、消化排泄時には心を一処に合わせ、共同の意念と感受が必要で、互いに分離できない。病気になれば二人共に病み、痛みは二人同時に感じるが、各々の身識と意識が別々に病痛を感じるため、感受には若干の差異が生じる。

七識の中で最も密接に関連するのは、二つの身識の協調である。一つの身体を共用するため、協調は極めて迅速で、ほぼ無縫に近く、些かの違和感もなく不自然ではない。最も重要なのは二つの意根の指揮作用である。もし二人の我執が共に強く、習気が全く相反すれば、頻繁に争うことになる。二人は善縁であるため、性格や心情、習気嗜好が異なっても良く調和し、心を一処に合わせ、互いに配慮し合うことで、最大の受用を得ることができる。

就寝時、二つの意根は一致して横たわることを決定し、身体を勝手に動かさない。一人が眠りに就き六識が滅すれば、身識も滅する。もう一人が未だ眠らずに身体を動かせば、他方の意識と身識を生起させ目覚めさせる。心中で思惟が過多になれば、他方の睡眠にも影響する。共通の神経系があるため、仮にそれがなくとも心念力の磁場力が他方に影響する。ここには多くの秘密が関わっている。

もし一人の身体が次第に使用不能となるか、或いは死亡すれば、その人に属する色身の機能作用は停止する。頭部が機能せず勝義根が破壊され、腕一本と脚が使えなくなり、心臓が停止し内臓が全て機能しなくなる。もう一人が生存していれば、不具合の身体を無理に使用することになり、その機能は多大な影響と制限を受ける。死亡した部分の身体を完全に切除できないため、疾病を伝染させる可能性がある。仮に疾病の伝染を防げても、一部機能の欠如により、生存する者の五陰機能は甚だしい阻害を受け、生活は極めて不便となり、生命の質は大幅に低下し、寿命も長くは続かない。

生命あるところに苦受あり、まして正常な生命ではない。二つの身体が連なる生命は更に苦である。しかし衆生は生に貪着するため、苦を感じず、不断に享楽を追求し、苦を以て楽と為すことさえある。衆生はかくの如く無知で愚痴深く、貪欲が極めて重い。如何に苦しくとも、苦からの出離を求める考えは起こらない。智慧ありて愚痴なき者は貪求せず、苦を知り断離を求める。故に解脱の根本は智慧にある。

——生如法師の開示
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