五蘊十八界の無我を観察するには、主に意識の無我を観察する必要があります。意識の境界は多岐にわたり、粗いものも細かいものもあり、清浄なものも不浄なものも、空なるものも不空なるものもあります。意識を観察するには、あらゆる意識境界の生滅無常・苦空無我を体得しなければなりません。意識には様々な境界相があります。例えば種々の煩悩相、種々の清浄相、種々の空相、種々の知相、種々の了別相、言語文字ある相、言語文字なき相、音声ある相、音声なき相、寂静相、喧騒相などです。これらの相と境界は全て生滅無常の変異法であり、我ではなく、全て空であります。
心を静めて一念も生じない時、これ即ち意識の寂静相です。その虚妄性を見破り、これを実体ある我・法身・如来と認めなければ、この時の意識我見を断じます。しかし他にも意識我見が残っています。前念が生じず後念が来ない中間の空隙は、一見清浄のように見えますが、実質は依然として意識境界です。これを見破ってこそ、意識の我見を断じることができるのです。
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