衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2020年08月15日    土曜日     第2 回の開示 合計2543回の開示

意識と意根は互いに縁となるか

根と塵が触れ合うことで意識が生じ、根・塵・識の三つが和合して触れるとき、意識は法塵の境を了別し、意根はこれに依って総合的な選択を行うのである。意識と意根が互いに触れ合えば、必然的に互いを縁として心を知り合い、法が絶えず運行し続け、身口意の行いが造作される。もし意識と意根が互いを縁としなければ、意識は運行できず、意識が生じても用を成さず、後には意根は再び意識を生じさせる選択を行わない。意識が生じる目的は、意根に協力し意根の必要に従うことにあり、意識は当然生じた瞬間から意根が自らに何を求めているかを知り、おのずから意根の心意に従って行動する。その過程において意見や提言を述べることも免れず、時に自らの主張が意根の心意と一致せず、内に矛盾が生じ、事に遇うごとに選択に迷うのである。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

楞厳経における円明照生の所立と照性の亡びの意味

次の記事 次の記事

意根の我見と我執を断除するには意根の現観の働きを必要としない

ページのトップへ戻る