衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年11月24日    土曜日     第1開示 合計1032開示

仏道修行における障礙にはどのようなものがありますか

惑障とは、思想上の迷いであり、煩悩障による惑いでもあります。業障は、無量劫の間に造られた無数の業行によって生じる業報の障害です。習障は、無量劫の間に世俗において染まってきた習性で、長い間積み重なり、慣性の力が非常に大きいものです。魔障には、天魔が干渉して設ける障害もあれば、心魔・煩悩魔という自心から生じる障害もあります。欲界を離れる能力のない者には、天魔は干渉しません。天魔はその必要がないと考えるからです。往々にして各人が自心から生じる煩悩魔障なのです。

これらの障害は常に仏法を学ぶ者について回ります。精進していない時はまだ目立ちませんが、精進して修行に励み、道業が進むにつれて、これらの遮障が顕著になり、様々な抵抗が非常に大きいと感じられます。まるで歩く時、周囲に風が吹いていても微風に感じられるように、自転車に乗れば風力はやや強く感じられますが大した支障はなく、オートバイに乗れば風の抵抗は大きく、速度が速くなるほど感じる抵抗も大きくなるのと同じです。物体同士には衝撃力の問題があるからです。仏法の修行もこれと同様で、自らが無量劫以来積み重ねてきた習気の慣性との間に衝撃力があり、精進すればするほど受ける妨げも大きくなります。もしも揺るぎない毅力を持ち、妨げを恐れなければ、道業は絶えず進み、成就は速やかで大きなものとなるでしょう。

——生如法師の開示
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