衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年12月02日    水曜日     第1 回の開示 合計2860回の開示

六入の意味が分からない

問:維摩経において仏は「諸入不會、不會なる者は菩提なり」と説かれました。この「不會」とは六入を分別しないという意味でしょうか。五祖の衣鉢は誰が得たのか。佛法を會しない者が得た。この「不會」とはどういう意味ですか。外六入と内六入より生ずる六識は、六根を知り理解し、六塵をも知り理解します。しかし第八識である菩提心は六根を知らず、六根が何であるかも理解せず、六塵を知らず、六塵が何であるかも理解しません。この知らず理解しない状態が、六根六塵を了別せず分別しないことなのでしょうか。

答:六入とは眼入・耳入・鼻入・舌入・身入・意入を指し、外六入(色・声・香・味・触・法)と内六入(勝義根内の眼根・耳根・鼻根・身根、および意根)を含みます。これらの内外六入は世俗法であり、前七識は世俗法と相応し、世俗法を了別・分別し、その世俗的意味を明らかにします。この「明らかにする」ことが「會する」という意味です。

しかし第八識はこれらの世俗法の世俗的意味を明らかにせず、世俗法を會しません。もし第八識が世俗法を會すれば、七識のように世俗法に愛着と執着を生じ、煩悩が現れ、輪廻と相応することになります。故に第八識は「諸入不會」と言われるのです。

ただし第八識は無明を離れ、一法も知らざるなく、一法も曉らざるなく、一切の法を縁じ、一切の法に作意・触・受・想・思をなし、如実に一切の法を了別し、知り、分別し、理解します。もし第八識が一切の法を知らず理解せず、六根六塵を知らなければ、如何にして刹那毎に六根六塵を執持し変化させることができましょうか。第八識もまた六根六塵に受・想・思をなし、択択を有し後続の造作を行います。必然的に六根六塵を知り理解しているからこそ、如何に造作すべきかを知っているのです。

ただ第八識は六根六塵の世俗的法相を知らず、世俗的内包を理解しません。これらは七識が知るべき内包です。第八識は何を知り何を會するのか。甚深なる唯識種智がなければ第八識の知と會を観察できず、ただ第八識に問うほかありません。第八識は無明を離れ、一切の法を明瞭に分別し、毫も錯乱せず、七識のように往々にして分別が不明瞭で択択を誤り、造作を錯乱させ、果報を錯乱させるようなことは決してありません。

——生如法師の開示
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