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日常開示

2021年01月06日    水曜日     第1 回の開示 合計2972回の開示

瑜伽師地論 巻第九十二 因縁部分

(一)原文:即ち現法において説く。無明を縁として行が生じ、行を縁として識が生ず。この識は現法において因識と名付けられる。後の生における果識を摂受するが故に。また総じて一切の識に依り、六識身と説く。またこの識は、後の有における名色の種子が随逐する所なり。この名色の種子は、後の有における六処の種子が随逐する所なり。この六処の種子は後の有における触の種子が随逐する所なり。この種子の触は後の有における受の種子が随逐する所なり。かくの如く総称して中際において後の有を引く因と名付く。識を引き乃至受に至る一期の身を受くべきことを知るべし。

釈:一切の現実存在の法において説く。無明を縁として行が生じ、行を縁として識が生ずる。この識は現前の法において因識と呼ばれ、この識が起因となり、業行を造った後に後の世の果報識を引くことを意味する。また六塵の境界に依ってある一切の識を総称して六識身と説く。この六識身は後の世の名色を生じる種子に追従される。即ち後の世の名色の種子は六識身が業行を残したもので、六識身が業行をなした後に後の世の名色の種子が生じ、この種子に依って後の世の名色が成立する。

この名色の種子はさらに後の世の六処の種子に追従され、後の世の名色における六処の種子は名色の種子に依って存在する。六処の種子はさらに後の世の触の種子に追従され、後の世の名色における触の種子はこの六処の種子に依ってある。触の種子は後の世の名色における受の種子の依り所となり、受の種子は触の種子に依って存在する。かくしてこの識は総じて現世において後の世の名色を生じる引因となり、故にこの識が後の世の名色を引く力によって一期の色身を受けることを知るべきである。

原文:故に先の異熟果に対する無明によって後の有を引き、さらに第二の境界より生ずる受の果に対する無明によって、境界に縁る受愛を起こす。この愛によって、或いは欲求を発し、或いは有求を発し、或いは欲取を執し、或いは見戒及び我語取を執す。この愛取が和合し資潤することにより、先の引因を転じて有と名付け、即ち後の有の生因となる。この無間の命終わりし後、先の引因に随って引かれた識等は、受を最後として、これらの行は漸くあるいは頓に生ず。

釈:前世の異熟果に対する無明によって後の三有を引き、業果としての五陰身(異熟は後の世で成熟するもの)が生じる。後の有が生じた後、境界との接触から生じる受もまた無明に基づき、境界に縁って受愛が生じる。境界への愛によって五陰身は或いは欲求を起こし、或いは三界の有法への貪求を起こし、或いは境界への欲取を執し、或いは我見・戒禁取・我語取を執する。この愛取が和合し潤いを与えることにより、前世の六識身の引因は後の有へと転じ、愛取が後の三有を生じる因となる。この永続する生命体が終わると、前世の引因に随って引かれた識は最終的に受を了する。これらの業行の生起は漸次的あるいは頓発的に起こる。

——生如法師の開示
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