すべての衆生の如来蔵は外相分を摂取し、それを自らの内相分へと変容させるが、これもまた衆生自身の業縁に応じ、自らの業種に基づいて摂取するものである。外相分の変現に参与する際、各自の業種が異なるため、出力される四大は他の衆生のそれとは明らかに異なり、すなわち変現への投入する持分(株式)が異なるため、果報も異なり、各自が感得する外相分も当然異なるべきである。したがって各自の如来蔵が摂取する相分は異なり、変現される内相分もまた異なる。これが第一の理である。 第二に、衆生は業力が異なるため、たとえ同じ外相分があったとしても、如来蔵がこれを摂取した際に変現する内相分はやはり差異を生じる。これは衆生の業種によるもので、六根に障礙があるため、中間において四大微粒子物質を正常に伝導・受容することができない。如来蔵もまた相応の内相分を正常に変現できず、内相分は歪曲される。そこで六識が分別するのは歪んだ内相分であるが、これを外界の真実の外相分と錯覚するため、六識は六塵に対して不正常な歪曲的了別をなす。さらに、六識には貪瞋痴の煩悩を有するため、その智慧は狭劣であり、内相分を正常に了別することもできず、したがって常に誤った了別をなすのである。
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