衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年01月08日    金曜日     第1 回の開示 合計2978回の開示

瑜伽師地論 巻第九(十二因縁)

(三)原文 無明触によって生じる受に対し、それに相応する心中の全ての貪愛は、この心より離繫するが故に、貪愛は永く滅びる。現法において、心解脱を証得する。仮にその無明が永く断たれざるならば、識等を依りどころとする受を最後として、全ての諸行は後際に生ずべきである。無明が滅ぶが故に、再び生起せず、無生法を証得する。是の故に無明滅ぶが故に行滅ぶと説く。次第に乃至、異熟生の触滅ぶが故に異熟生の受滅ぶ。現法において、無明滅ぶが故に無明触滅び、無明触滅ぶが故に無明触より生ずる受滅び、無明触より生ずる受滅ぶが故に愛滅び、愛滅ぶが故に先述の如く無生法を得る。これにより取等の煩悩を最後として、諸行は永く滅ぶと説かれる。

釈:無明触によって生じた受に対し、それに相応する心中に生起する全ての貪愛が、この心より離繫する時、貪愛は永遠に断滅し、現世の法において心解脱を証得する。もし無明が永く断たれなければ、識を基盤とする受を最終段階として、受およびそれ以前の触・六入・名色等の諸行は来世に再生するはずである。無明が滅んだ故に、これらの諸行は再び生起せず、無生法を証得する。従って無明滅びて行滅び、行滅びて識滅び、識滅びて異熟生の名色滅び、異熟生の名色滅びて異熟生の六入滅び、異熟生の六入滅びて異熟生の触滅び、異熟生の触滅びて異熟生の受滅ぶと説かれる。現世において無明が滅んだ故に無明触が滅び、無明触滅びた故に無明触より生じる受が滅び、無明触より生じる受滅びた故に愛が滅び、愛滅びた故に前述の如く無生法を証得し、これにより取等の煩悩が生死輪廻の最終段階において、諸法に執着せざる時、全ての行は永く滅ぶのである。

原文 かくの如く現法において諸行は転じず、転じざるが故に現法において有余依の界において現法涅槃を証得す。その時、唯だ清浄なる識が名色を縁とし、名色が識を縁とする状態が残る。識身のある限り、恒に離繫の受を受け、繫がれたる受を受けず。この識身は先業の引き起こす寿量が尽きるまで相続して住す。寿量尽きれば識の持つ身を捨て、この命根の後、全ての命根は余すところなく永滅し、再び熟することなし。またこの識と一切の受は任運に滅び、残りの因縁は既に滅びたる故に再び相続せず、永く余すところなく滅ぶ。これを無余依涅槃界究竟寂静の処と名付け、亦た涅槃を求むる者が世尊の許にて梵行已に立し、究竟涅槃したるとも説く。

釈:全ての行が滅んだ後、現世の法において諸行は作用せず、作用しないが故に現世において未だ余苦を依りどころとする世界(有余依)において、現世法の涅槃(有余依涅槃)を証得する。この時、清浄な阿頼耶識が名色を縁じ、名色が清浄な阿頼耶識を縁ずる状態が残存する。六識身が存在する限り、常に繫縛を離れた受を覚知し、繫がれた法の受を受けない。この六識身は前世の業が引く寿命が尽きるまで持続して存続する。寿命が尽きれば六識の持つ色身を捨て、この身体滅後の全ての身体は永遠に滅尽し再生せず、再び形成されない。この六識と一切の受は因縁の滅に随って自然に滅び、残りの因縁(愛・取・有等)は既に滅びた故に再び相続せず、永遠に残りなく滅ぶ。これを無余依涅槃界という最究竟の寂静の境地と称し、また涅槃を求める聖者が仏法において清浄な梵行を確立し、究竟の涅槃を証したとも説かれる。

——生如法師の開示
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