(七)原文:問。何の因縁によって、逆次第において老死を最初として諸縁起を説くのでしょうか。答。四聖諦の道理に依止して宣説するからです。生及び老死は苦諦を顕すことができるためです。世尊が「新たな名色の滅びが最上の法である」と説かれた通りです。問。なぜ全ての無明の滅びを最上と説かないのでしょうか。答。心解脱した者に依って施設されるためです。彼らは現法において種子の苦及び未来の苦果が生じることなく滅するため、名色を最初とし受を最後として究竟の滅を得ると説くのです。また現法において諸受を受ける際、愛及びその随眠が永く抜かれ生起しないことを滅と説きます。それらが滅することによって、それを最初として他の支も滅します。このような類いの縁起の次第を宣説すべきことを了知すべきです。
釈:問い。逆順縁起の次第において、なぜ老死を最初として十二縁起法を説くのか。答え。世尊が説かれた四聖諦の理法に依拠するためである。生と老死は苦諦を顕すからで、世尊が「新たな名色の滅びが最上の法である」と説かれた通りである。
問い。なぜ全ての無明の滅びを最上と説かないのか。答え。心解脱した者に対する施設であるため。現法における種子の苦と未来の苦果が生じずに滅する故、逆縁起の次第では名色を最初とし受を最後として究竟の滅を得ると説く。現法において諸受を受ける時、愛とその随眠が永く断たれ生起しないことを滅と説く。それらが滅する故、それを最初として他の支も滅する。このような縁起法の次第を了知すべきである。
原文:問。なぜ縁起を縁起と説くのでしょうか。答。煩悩の繋縛によって諸趣に往き、数度も生起するからです。これを字義に依って縁起と名付けます。また衆縁に依託し速やかに謝滅した後、続いて和合して生じる故に縁起と名付けます。これは刹那の義に依る解釈です。また衆縁が過去にあっても捨離せず、自らの相続に依って生起する故に縁起と名付けます。「此れ有るが故に彼れ有り、此れ生ずるが故に彼れ生ず」と説く如く、他の依りでは無い。この義に依って解釈すべきことを了知すべきです。また数度謝滅して再び相続的に生起する故に縁起と名付けます。これは数度の壊滅の義に依る解釈です。また過去世において縁起の性質を覚り、等しく相続的に生起する故に縁起と名付けます。世尊が「我已に覚悟し、正しく起って宣説す」と説かれた如く、この名によって展転に伝説される故に縁起と名付けます。
釈:問い。なぜ縁起を縁起と説くのか。答え。煩悩の繋縛によって六道に生まれ、数限りなく五蘊身を生起させるから縁起と称する。字義に基づく命名である。次に五蘊身が衆縁に依拠し速やかに滅した後、再び和合して生じる故に縁起と称する。これは刹那生滅の義による解釈である。衆縁が過去にあっても五蘊身は捨離せず、自らの相続縁によって再び生起する故に縁起と称する。「此有る故に彼有り、此生ずる故に彼生ず」と説く如く、この義に依って解釈すべきことを了知すべきである。五蘊身が数度滅び再び相続的に生起する故に縁起と称する。数度の壊滅の義による解釈である。過去世において縁起の性質を覚り、五蘊身が相続的に生起する故に縁起と称する。世尊が「我已に覚り、正しく起って因縁法を宣説す」と説かれた如く、この縁起の名によって説かれる故に縁起と名付けられる。
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