衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年03月26日    金曜日     第2開示 合計3232開示

父子合集経講記(一七〇)

<h2 style="text-indent: 2em;">大乗の修法と小乗の修法の実質</h2>

修道とはすなわち修心であり、心を修めようとするならば、まず自心の虚幻不実であることを認識し、貪着する六塵の境界が虚幻不実であることを認識しなければならない。その後にじょうと観行 (vipaśyanā-caryā) を修めてこそ、心の虚妄な貪求、欲求、思い、感受を滅除し、心の煩悩と愚暗を断除することができる。こうすれば生死輪回の苦を受けずに済む。これが小乗の修法である。大乗の修法とは明心して証悟し、阿頼耶識 (Ālayavijñāna) を見出すことである。神様がどこで運行し、どのような働きをし、どのように働き、どのように妄心と和合し、どのように万法を生じさせ、どのように我々の識心を変現するのかを知ることである。阿頼耶識心を見出した以後は、神様の不生不滅性を証得すると同時に、神様が五陰身の我を生じさせたのだと知るのである。それゆえ、神様によって出生された五蘊は空であり、虚妄であり、幻化であり、神様が出生させた十八界は空であって幻化であり、真実ではない。これは同時に小乗の空の果をも証したことになる。我々が開悟すると同時に、大乗の果位を証得するのみならず、小乗の果位も証得し、二つの果位を同時に得るのである。しかし小乗の空の果位を証得しても、必ずしも同時に大乗の菩薩の果位を証得できるとは限らない。だが我々が大乗の菩薩の果位を証得すると同時に、必ず小乗の初果の果位を同時に証得し、同様に三悪道の業種も消滅するのである。

——生如法師の開示
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世尊はなぜ凡夫と声聞の人に甚深な唯識の法義を開示しないのか

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父子合集経講記(一七一)

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