衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年06月28日    木曜日     第3 回の開示 合計691回の開示

内外塵の変化の原理と順序

外根は外塵に触れ、内根は内塵に触れる。内外の根が関連するのみならず、内外の塵も相互に関連し、さらには内外の識も全て関連し合っている。六識が内塵に触れ、内塵において造作する時、外塵に変化は生じるか。もし変化が生じるとすれば、外塵が先に変化するのか、それとも内塵が先に変化するのか。

仔細に思惟観行すれば、意根は内塵において主体として推動作用を起こすと同時に、外塵においても主体として推動作用を起こすことが分かる。これにより意根が内識であると同時に外識でもあることが証明される。

手で書物を取り去った後、外塵としての書物は元の場所になく、他人には見えなくなる。自己の内塵における書物の位置も変化する。外塵の変化は当然意根が主体となって起こし、内塵の変化もまた意根が主体となって起こす。例えばパンを口に運んで胃に入れる行為は、明らかに意根が主体となって行うものであり、内塵は粉砕されて胃の中に入る。外塵が口元から消えるのも、意根が主体となって消失させるためである。意根が主体となって推動作用を起こさなければ、内外の塵は短時間では変化しない。

内塵は常に外塵に依存して生起し存在する。外塵がなければ内塵は存在せず、先に外塵があり、後に内塵が生じる。独影境は例外で、外塵に依らずに存在するため、非常に活発で不安定であり、変幻自在である。意識はほとんどの場合これを把握できず、制御できない。なぜ制御できないのか。意識には意根を降伏させる力も、意根を制御する力もないからである。

内塵が外塵に依って存在する以上、塵境の変化は必ず外塵が先に変化し、内塵がそれに続いて変化する。その変化はほぼ同時に起こる。もし外塵を変化させれば、関連する衆生の外塵も同時に変化し、それに伴って関連する衆生の内相分も変化する。もしこの変化が他者に容認されないものであれば、他者の関連する利益を侵害することになる。

例えば公共の財産を損壊すれば、各自の外塵と内塵が共に変化し、他者がこれを許さなければ他者の利益を侵害する。他者の色身を破壊・変更することは、自己の内外相分を変化させるだけでなく、他者の内外相分も変化させ、他者はこれによって損害を受け憤慨し、あるいは利益を得て喜ぶ。もし自己の色身を毀損すれば、自己の内外塵を変化させるだけでなく、他者の内外塵も変化させ、自分の親族もこれを許さず苦悩する。

もし自己の内塵のみを変化させ、他者の内外塵に関わらないのであれば、他者とは無関係である。独影境は完全に自己に属するものであり、他者の内外塵に関与しないため、如何に変化させようとも他者は知ることができない。例えば仏像を観想して念仏三昧を成就し、十方諸仏が眼前に立ち現れても、他の者はこの情景を見ることができない。極楽世界が眼前に現れるまで念じても、他者には同様に見えず、もし見えるのであれば他者も同時に念仏三昧の功徳を成就していることになる。それ故、一人が修行すれば全ての衆生がその功徳を分かち合うのである。

——生如法師の開示
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