阿羅漢がもし無余涅槃から出ることがあるならば、必ず或る業種が熟し、如来蔵が業種に依って再び運作し、意根を出生し、その後意根と如来蔵が共に胎に投じて五陰十八界を出生させるのである。業種が熟する時、如来蔵は必ず了知することができ、業種が熟していない時にも、如来蔵は了知できるはずである。では、如来蔵におけるこの知とは何か。
如来蔵が業種に依って運作する時、それは思心所の造作であり、思心所が運行する前に、想心所の運行がある。想心所とは了別取相のことであり、業種を了別し、業種の熟否の相を取るのである。想心所の前には受心所があり、業種を受容領納し、受心所の前には触心所が業種に触れる。触れる前には必ず業種に作意しなければならない。如来蔵は無余涅槃において他に為すべきことはなく、ただこの一事のみを行うのである。
しかも如来蔵がこの一事を運作するには、自らの存在と不断の運行がなければならず、これによってこの事の運行が保証される。如来蔵自らの存在と不断の運行は、如来蔵自身の識種子が不断に流注することに依り、連続不断なる如来蔵識流を形成する。五遍行心所法は如来蔵の止まぬ運行に伴い、これが即ち如来蔵が相続不断で不生不滅であるという意味なのである。
1
+1