四種の涅槃
菩薩は自ら涅槃を証悟し、更に他者をして証悟せしむべし。己が涅槃を証得した後、衆生を導いて涅槃を証得させる。涅槃とは修証によって到達する清浄寂静の境地であり、不生不滅である。涅槃は四種に分けられる。
一、如来蔵の自性清浄涅槃。如来蔵そのものが涅槃の性質を具え、不生不滅・不増不減にして清浄無染、一法にも執着せず。菩薩が明心開悟する時、この本来具わる涅槃性を証得し、自性清浄心の涅槃を悟る。
二、有余依涅槃。有余とは未だ色身あるいは心の存在を残すことを指す。身心の存在あるところには苦受あり。阿羅漢が在世する時、色身五蘊が世間に存在し、色身に覚受あるが故に一定の苦受を有す。余りの苦が色身を依りどころとして現れ、風に吹かれれば涼しく、日に照らされれば熱く、蚊に刺されれば痒し。この微細な苦を受ける境界を有余依涅槃と称す。小乗の三・四果人が証得する涅槃の境地であり、初地以降の菩薩も同様にこれを証得する。
三、無余依涅槃。阿羅漢が寿命尽きる時、五蘊を滅除して無余涅槃の境界に入る。この境地には色身なく、心も五蘊も存在せず、いかなる苦受も生起せず。身に苦を受けることなく、心に苦を覚えることもなく、身心に苦を感知するもの無く、感受も思想分別もなく、阿羅漢という存在も消滅し、ただ涅槃寂静の状態の中に自性清浄心のみが不滅に存在し、一切の無き境界に住す。これを無余依涅槃と称す。四果羅漢が入滅後に証得するものであり、解脱の功徳深き三果人も命終後に証得し得る。初地満心の菩薩は証得する能力を有しながらも敢えて証せず、惑を留めて生を潤し、自利利他を成す。
四、無住処涅槃。これは仏のみが証得する涅槃の境地であり、他の菩薩や声聞縁覚は証得する能力を有せず。仏が一切種智を究竟成就した後、その甚深なる大智慧をもって、心は如何なる境界にも住することなく、如何なる一法にも執着せず、空にも有にも住せず、無余涅槃にも三界にも住さず。然るに仏は無量の大悲心をもって、三界を離れず、世俗法を捨てず、五蘊身を離れず、三十二相の身を以て衆生を教化し涅槃解脱を証得せしむ。仏は因縁に応じて一つの世間に八相成道を示現し、成仏を顕す。この世界の因縁が尽きれば、更に他の有縁の仏国土に於いて、新たな五蘊身を現じ、成仏して衆生を度す。かくして無数の世界の衆生を利楽し、皆ことごとく涅槃解脱を証得せしむ。これ即ち仏の衆生を捨てずして住処なき涅槃の境界である。
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