『大涅槃経』原文:何等名为秘密之藏?犹如伊字三点,若并则不成伊,纵亦不成。如魔醯首罗面上三目乃得成伊三点,若别亦不得成。我亦如是,解脱之法亦非涅槃,如来之身亦非涅槃,摩诃般若亦非涅槃,三法各异亦非涅槃。我今安住如是三法为众生故名入涅槃,如世伊字。
解釈:伊字とは、おそらくインドの文字であろう。三つの点が並んでいるのではなく、三つの点が横にも縦にもならずに配列されて伊字を成している。三点の関係は不一不異である。法身・般若・解脱の三者もまた同様に、互いに不一不異の関係にあり、三者が共に仏地の大涅槃を成就している。
単独の法身は涅槃ではなく、単独の解脱は涅槃ではなく、単独の般若も涅槃ではない。三者が相互に関連していなければ涅槃ではなく、三者が密接に関連し合って一体となってこそ涅槃である。如来は法身を証得すると同時に、大般若の智慧と究竟の解脱徳を具えてこそ、真の涅槃なのである。例えば阿羅漢の解脱には法身徳と般若徳がなく、その解脱も究竟ではない。それゆえ真の涅槃ではないのである。
法身徳とは、すなわちわれわれの円満清浄な自性清浄本心である如来蔵 (tathāgatagarbha) のことであり、神様は円満に一切法を成就し、無量の功徳が一身に具わっている。般若 (prajñā) 徳とは、すなわちわれわれの真如の性体が具える大智慧の境地であり、空にも有にも非ず、空にして有、真空妙有、空と有をともに具えている。解脱徳とは、すなわちわれわれの心体の本性であり、三界において無碍で、一法にも住せず、一法にも執着せず、万像を生じさせながらも一像にも染まらず、その身は清浄 (viśuddha/pariśuddha) に裸裸として、一物も掛けていない。
解脱・法身・般若の三者の本体はいずれも真如であるが、真如は解脱とイコールではない。なぜなら真如にはまだ法身徳があり、また般若の智慧徳もあるからである。真如は法身とイコールではない。なぜなら真如にはまだ解脱徳と般若徳があるからである。真如は般若の智慧とイコールではない。なぜなら真如にはまだ法身徳と解脱徳があるからである。法身・般若・解脱を一体に集めてこそ、大涅槃なのである。菩薩たちは法身を分証してはいるが、般若の道種智が円満でなく、解脱も究竟ではないため、大涅槃ではないのである。ただ仏世尊のみが法身・般若・解脱の三者のところに完全に安住することができ、諸衆生のために、仮にこの涅槃に入ると名づけるのであり、実際にはどこにも住せずどこにも入らない。これを大般涅槃と名づけるのである。
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