衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年06月13日    日曜日     第1 回の開示 合計3442回の開示

四念処観行質疑応答32

問:座禅中に気機が発動する現象はなぜ起こるのですか?  

答:座禅中は対象とする法が少ないため、心が空になりやすく、禅定が早く生じます。しかし活動中は対象となる法が多いため、禅定が生じにくく維持も困難で、気機も発動しにくいのです。座禅中に禅定が非常に固くなり、気機の発動が持続して初めて、活動中にも慣性作用によって禅定が現れ、気機が発動する可能性があります。座禅中の禅定が不確かであれば、活動中に禅定が現れることは稀で、気機発動の現象は更に起こりにくく、身体の気脈も開通しにくく、心も空になりにくいのです。

心が空であればあるほど身体への障害が少なくなり、気機は発動しやすく、より速く長く発動し、深く入定します。性障に覆われた人は気機を発動させにくく、発動してもすぐに消えてしまいます。将来初禅定が生起する時も同様の気機発動現象があります。心が空であれば性障が軽くなり、気機はより速く深く発動し、全身に行き渡り、持続時間が長くなり、禅定は更に深く持続します。所謂性障とは、貪・瞋・痴の煩悩や執念、身体や自我への執着、心が捉える法が多く、攀縁が絶えず、世間法を実体視して捨てられない状態を指します。 

問:呼吸の出入りに従い意識を呼吸に置いていますが、どのように頭部を観察すればよいのでしょうか? 

答:呼吸を観る際、観察対象は常に呼吸であり、頭部を観る必要はありません。対象を専一に持続させてこそ定慧が共に生起し、そうでなければ散乱し観慧が生じず、観ないのと変わりません。観行とは事実を観察することであり、あるものをあるがままに観察し、ないものを想像せず、事実を尊重することです。現量の法において現量の智慧が生起し、想像したものは該当しません。観行はまず注意力を集中させる訓練に過ぎず、難しいものではありません。

——生如法師の開示
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