衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年03月21日    水曜日     第1開示 合計235開示

夢内外にて心痛を催させるは何れの識ぞ

夢の中でも外でも胸の痛みを引き起こすのはどの識か。  ある人が夢を見て、自分の車が押しつぶされて完全に消え失せたため、夢の中で胸が張り裂けそうなほど痛み、目覚めた後もまだ心が痛む。これはどの心の痛みか。どの心の感覚がこれほど執着し固着しているのか。夢で胸が痛んで目が覚め、恐怖で目が覚め、喜びで目が覚めるのはなぜか。これらはすべてどの識の感受か。夢の中の意識と、夢の外の意識は同一なのか。

意根は連続する識であり、前世今生・夢の中でも外でも同様に存在する。眠りと目覚めを主導するのは意根である。夢で胸が痛み、夢の外でも同じく胸が痛むのは、必ずや意根の感覚が胸の痛みを引き起こしており、さらに意根は身心の変化を引き起こし得る。胸を痛ませ得るのは意根である。意識が痛む時は非常に微弱で、微風が海面を撫でるように波紋も起こさず、身心の反応を引き起こさない。

夢の中で意根は独頭意識の了別を通じて、夢の情景を現実と見なし、実在する境界であると認識する。そのため夢の情景に非常に執着し、ついには身心を動揺させ、胸の痛みという現象を引き起こす。目覚めた後も、意根はあたかもまだ夢中に浸っているかのように深く感応し、心がまだ痛むと感じさせる。夢の中の独頭意識は既に変換しているが、意根は依然として夢の情景に執着しており、独頭意識は夢中の境界を追憶し、これまた感応する。このうち意根の感覚は根深く固着して変わりにくく、意識の感覚は変わりやすく、境界に遇えば即ち境界の影響を受け得る。

ここから、意根の感受は完全に捨受(苦楽を超越した平静な感受)ではないことが分かる。そうでなければ身心にそれほど大きな動揺を引き起こすことはなく、痛みで目覚めたり、喜びで目覚めたり、泣きながら目覚めたりすることはない。目覚めた後もなお泣き続け、喜び続け、痛み続けることは不可能である。我見を断ち、感覚を断ち、覚知を断つこと、つまり意根の我見・感覚・覚知を断除することが最も困難であり、意識の全ての知見・感覚・覚知は容易である。

——生如法師の開示
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各心識の和合と作用の仕組み

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解悟のどこが悪いのか