識が触塵に接する時、根・塵・識の三者和合して触れるが、その結果は何か。六識の作用は全て何か。三者和合して触れるということは非常に重要であり、その結果として識に受・想・行の作用が生じ、身口意によって造作が行われ、業種が残される。もし識が塵に触れなければ、識は何の作用も持たない。
各識はどのような塵に触れるのか。各識が触れることのできる範囲を明らかにすれば、全ての法を了解し思惟し尽くすことができる。次に、六識が無ければ何ができるかを思惟する。これらの作用は全て六識によって造作されたものであり、生滅して虚妄である。
無色界の衆生には色身五根が無いが、なぜ意識が存在し続けるのか。意識は何に依って存在するのか。意識の了別機能の強大さはどのような条件に依るのか。これらの問題を明らかにすれば、将来大乗・小乗を問わず深く透徹した悟りを得ることができる。現在の観行が全面的でなく深透していないため、解悟する者は増えているが、内心に何の功徳受用もなく、煩悩は依然として甚だ重い。ある者は他人が手振り身振りするのを見て、その中の某かの作用を知り、自ら悟ったかのように思い込むが、問題の根源と本質には達しておらず、これは証悟ではない。
根が塵に触れて識を生じる。根が塵に触れなければ識を生じない。命終の際、四大がまず分解するが、この時まだ識が存在し続け、了別と感受が可能であるため、非常に苦痛を感じる。各人の色身は自らの第八識によって執持され、自らの色身の変化も自らの幾つかの識の作用の結果である。では如何にして一人が他人を殺害し、他人の色身の状態を変えることができるのか。意識が無ければ五識は生起せず、六塵を了別するのは意根の決定による。意根が主宰し、意根は必ず法塵に触れる。意根が決定せず主宰しなければ、第八識は五識を生じない。意根が主宰すれば、即ち法塵に触れ、必ず意識を生じる。意識もまた五識の俱有依である。
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