衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年02月16日    金曜日     第4 回の開示 合計57回の開示

なぜ識は前世の記憶を了別できないのか

問:回想は独頭意識に属し、第八識より流注する種子によって刹那に想起されるものであるのに、なぜ意識は前世のことを了別できないのでしょうか。

答:この世の意識心は、今世新たに生じた意識心であり、前世の意識心ではありません。今世の意識心は前世の人事を経験していないため、当然前世の記憶は存在しません。もし前世の人事を了別できるなら、それは回想とは呼べず、自ら経験した事柄のみが回想と呼べるのです。前世の事を回想できるというのは方便的な説き方であり、これは意根を主体として、意根の立場から述べたものです。なぜなら意根は前世と後世を繋ぐものであり、意識は段階的に区切られているからです。今世の意識が前世の事を了知するのは、厳密には回想ではなく間接的な了知です。神通力を持つ者が「我は過去を憶う」と言う場合、この「我」は意根の我を指します。意根自体は回想できませんが、意根が意識の機能を我として執着するため、このように表現するのです。この時、意識は意根を通じて自ら経験していない人事を了別しています。

前世の五陰と今世の五陰は非一非異の関係にあり、共通する部分もあれば異なる部分もあります。前世の五陰は今世の五陰に配慮せず悪業を造ったため、今世の五陰は前世の五陰が造った悪業の苦果を受けるのです。前世と今世に関係はあるか? 確かにあります! 意根と第八識は前世から続くものであり、習気や性格は前世と同じままであり、怨親債主も変わらず、善業悪業の種子は常に携え続けています。今世も悪業を造り続ければ、後世の五陰が苦しむことになり、しかもそれは自らの五陰が苦しむのであり、意根と第八識は苦しみを受けません。各自がよく自らを律するよう心掛けるべきです。

——生如法師の開示
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