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日常法話

2018年02月14日    水曜日     第3開示 合計44開示

意根が意識を警覚する方式

<h2 style="text-indent: 2em;">問:意根の思量 (manasikāra/manana) の結果や結論は、どのような経路や方法を通して表現されるのでしょうか?意根には言語文字による表現のメカニズムがありません。表現の過程を完成させるには意識を通さなければならないとすれば、この過程のメカニズムは何でしょうか?この結論はどのように伝達されるのでしょうか?</h2>

答:意根の思量 (manasikāra/manana) の結果と結論は、意識に知らせて処理させる必要がある場合、意根は意識を警覚します。意識に知らせる必要がなく、意識に措置をとって処理させる必要がない場合には、意根は意識を警覚せず、わざわざ意識に知らせようとはしません。

意根が意識を警覚する方法は、思心所を生起させて、どのように処理したいかという一つの決定を下すことです。意根の思量 (manasikāra/manana) の結果は一種の法塵であり、それから如来蔵 (tathāgatagarbha) が意根の決定を了別し、意根に配合して意識を出生させ、意根の考えや決定を了知させ、一定の措置や方法をとって、意根の決定と意志を完成させるのです。

たとえば、身の回りに鬼神の妨害があり、意識は不快感を覚え、あれこれ考えても、何が起きているのか分かりません。しかし意根はそれを知っていて、意識に通知する方法を考え、意識に回避させたり処理させたりしようとします。そこで意根は思心所を生起させて決定を下します。意根の心の中には言語も形象もない鬼神の意味があり、それが一種の法塵なのです。如来蔵 (tathāgatagarbha) はこの法塵のところで意識を出生させ、意識は鬼神の存在を感じ取り、それからこの件を処理する方法を考えます。あるいは経を読誦して回向 (pariṇāmanā) するか、あるいは呪を誦して駆逐するか、あるいは引っ越して避難するかです。意根が意識に知らせて警覚させる過程は、おおむねこのようなものです。もし意根が自分で処理できる場合や、軽微で重要でない事柄、意識が処理する必要のない事柄であれば、決定を下すことはなく、如来蔵 (tathāgatagarbha) も意識を出生させて意根の心思を了別させることはありません。

——生如法師の開示
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意識は理論と相応し、意根は実証と相応す

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