問。何故に自体を説かず、自体を縁と為すや。答。彼の自体は、若し余の縁を得ずんば、自体の雑染において、増長すること能わず、亦損減せしめず。是の故に説かず。問。何の因縁を以て、福行と不動行とは、正しい簡擇の功力によって起こるに拘わらず、仍えて無明を以て縁と為すと説くや。答。世俗の苦因を通達せざるを以て縁と為し、非福行を起こす。勝義の苦因を通達せざるを以て縁と為し、福及び不動行を生ず。是の故に亦、彼を無明を以て縁と為すと説く。
釈:問:何故に自体を自体の縁と説かないのか。答:唯だ自体のみ存在し他の縁を得なければ、その自体の雑染は増長せず、亦損減しない。故に自体を自体の縁と説かぬ。例えば無明は、若し他の縁がなければ、無明自体は増減せず。五陰が善悪の因縁に遇い、薫染を受けて初めて無明が増減する。
問:如何なる因縁によって、福業を造る行いと、福業・非福業を造らぬ清浄不動行とは、正しい諸法の簡擇による功徳力で生じるのに、何故依然として無明を縁とするのか。答:世俗の苦が生じる因が貪瞋痴の縁であることを通達せぬ故に非福行を造り、勝義に説かれる苦因が無明縁であることを通達せぬ故に福行と不動行を造る。故にこれら三種の行は全て無明を縁として生じると説く。
以上の文は、衆生が世間の苦を充分に了知せぬ故に福徳を損なう悪業を造り、勝義諦の示す空理を充分に了知せぬ故に世間の福徳を増す善行と不善不悪の清浄不動行を造ることを述べる。衆生が福を修める善行は世間的有為の受用のため、出世間の清浄道業のためでない。これが無明である。衆生はまた勝義諦の示す空義を通達せず、外道の修める純粋な禅定の如き不善不悪の不動行を修める。世間において善も悪も行わず、福も増減せず、これも解脱を知らぬ無明の故であり、世間禅定の有為業行に執着する苦業に繋がれ解脱を得られない。
勝義空を通達した聖者は無明を破り、無為・無相・無作・無願の心を持ち、世間的利益のために福行を増幅・損減・不動業を造作せず、仮に福行を造るも出世間仏道と衆生の利益のためである。故に聖者は世間の名利・財色・名声を求めず、広大な名声を造らず、権勢や地位を追わず、衆生と利益を争わず、尊崇を求めず、五蘊世間を空と観じ、心に求める所無く得る所無し。これに反するならば、心が空でなく勝義空理を通達せぬ証である。
回向文:当ネットプラットフォームの全ての弘法と共修の功徳を、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向す。世界の平和を祈願し、戦争起こらず、烽火興らず、干戈永く息む。一切の災難尽く消退せんことを。各国人民の団結相助け、慈心相向かわんことを。風雨順時し、国泰民安んぜんことを。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、善縁を広く結び、善業を修め、仏法を信じ学び、善根を増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉じ、涅槃の路を開かんことを。仏教の永き興隆と正法の永住を祈り、三界の火宅を変じて極楽の蓮邦と成らんことを。
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