答:無余涅槃 (Anupadhiśeṣa-nirvāṇa) の後には、自性清浄 (prakṛti-viśuddha) の本心だけが残り、五陰 (pañca-skandha) のいかなる一法も存在しなくなります。それならば衆生は存在せず、衆生が存在しない以上、誰が涅槃に入るのでしょうか?誰が涅槃に戻るのでしょうか?涅槃に入る者はなく、涅槃に戻る人もありません。
涅槃は清浄 (viśuddha/pariśuddha) な法界を表し、自性清浄心を表します。不生不滅であり、形も相もなく、内も外もなく、寂静として動きません。衆生は涅槃に対して、出ることも入ることもできません。衆生と涅槃の関係は、衆生の全体がすなわち涅槃であり、金器と金の関係のようです。金器は形こそ千差万別であっても、すべての金器は内から外まで、一つとして金でないものはなく、金器が金の中に戻らなければならないという言い方はありません。衆生の五陰 (pañca-skandha) の身心のいかなる一法も、一つとして清浄 (viśuddha/pariśuddha) な涅槃心が作ったものでなく、その実質はすべて清浄 (viśuddha/pariśuddha) な涅槃であり、再び涅槃に入る、あるいは涅槃に戻るという言い方はありません。
衆生はこれまで一度も涅槃を離れたことがなく、永遠に涅槃を離れることもできません。しかし無明のために常に涅槃の中にいながら自らそれを知らず、虚しく偽ってあちこち馳求して動揺し、妄りに生死輪廻の苦を受けます。それゆえ涅槃には戻ることも入ることも必要なく、衆生は無明に覆われて、ただ認識できないだけです。認識さえすれば、その瞬間に清浄 (viśuddha/pariśuddha) となり、その瞬間に寂静として解脱し、生死も繋縛ももはやなく、至る所が金なのに、何を金器に執着することがありましょう!
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