衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2022年08月25日    木曜日     第1 回の開示 合計3669回の開示

意根と五識および内外五塵との関係

まず、五識の生起と活動は意根によるものであり、意根が作意と選択を行わなければ五識は現れません。意根が作意と選択を行った後、五識と意識が同時に現れ、意根の作意と触れるところで六塵を了別します。したがって、五識の出現は意識によって決定されるのではなく、意根によって決定されると言えます。意識は五識生起の必要条件の一つに過ぎず、両者が和合して初めて完全な塵境を了別できます。その出現順序はほぼ前後を分たず、五識の生起と運営は意識によって決定されません。

意根が五識の生起を決定できるならば、なぜ意根が五識を主宰できるのでしょうか。五識の生起は必ず五根と五塵の接触によって促されますが、この五根と五塵の接触そのものは意根が促した結果です。五根と五塵はともに色法であり識ではないため、自発的に相互に触れることはありません。五根と五塵を接触させ五識を生起させる真の原因は意根にあります。

なぜ意根は五根に五塵を触れさせることができるのでしょうか。それは意根が六塵を攀縁し、六塵を詳細に了別しようとするからです。意根は単に法塵を攀縁するだけでなく、五塵を含む完全な塵境全体を攀縁します。もし五塵を攀縁せず法塵のみを縁とするならば、塵境に関する情報が不完全となり、選択や決断ができず六識は生起しません。例えば目の前に色とりどりの花がある場合、法塵と五塵が和合して初めて完全な花の様相となります。意根が五塵を縁としなければ花の色彩を知ることができず、赤い花か青い花か紫の花かに触れるべきかを如何にして決定できるでしょうか。六識が選択的に塵境を了別するのは、まさに意根が五塵境を含む塵境全体に対する選択があるからです。五塵は六塵中で極めて重要な比重を占め、まず最初に顕現し識別しやすいため、意根は六塵を分割して縁り選択を行うことはありません。

例えば意根が人相を攀縁する際、人の法塵相のみを縁として膚色や衣服の色彩相を排除することはなく、むしろ最初に色彩が最も顕著に人を引き付け、その後細かな法塵相が認識されます。他の塵境についても同様であり、故に意根は五塵を縁とします。六塵が勝義根に入る前の五塵境においても、意根は当然縁を結び選択できます。例えば交通事故が発生する直前、意根が対向車を縁としてすぐに衝突すると認識し、緊急に回避を選択する場合、もし意根が車の法塵のみを縁とし車の五塵境を縁としなければ、如何にして対向車の存在と衝突の危険を知り得るでしょうか。巨大な爆発が発生した後、意根が爆発音の五塵境を縁としなければ、如何にして即座に避難する決断が可能でしょうか。

意根が何らかの選択を行った後、五識は直ちに意識と共に生起して意根の指令を実行します。これは五識の生起が意根によって決定され、意識と共に意根に従属することを示しています。五識と意識がどの塵境で了別するか、どの程度の時間をかけ、どの内容を重点的に了別するかは、全て意根の主導的指揮によるものです。要するに、意根は主導識であり、五根・五塵・五識に対して全て主導権と決定権を有します。それらの関係は能動と受動、主導と服従の関係にあります。

——生如法師の開示
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