衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2022年10月24日    月曜日     第1開示 合計3714開示

どうすれば速く入定できるのか

座禅をしているとき、法義について思惟するほうが、心経や真言を黙念するより速く定に入り、しかも深い。呼吸を調えて定に入るより速く、その他の方法で定に入るよりもすべて速い。これは煩悩が軽く妄念の少ない利根の人にとってはそうなのであって、こうした人たちはすでに修定の基礎ができているので、前行の方便は省略できる。しかし攀縁が重く心思の多い初学の定者にとっては、思惟すればするほど心は乱れる。禅定がなければそれは雑思であり、雑思は心を乱すので、禅定の基礎ができてから思惟すればよい。私が上座するときは、脚を組んだら、どんな前行の方法も用いず、直接に深い思惟の中に入る。意識の思惟ではなく、すべて意根の思量 (manasikāra/manana) である。脚を組んだのち、まず思惟すべき法に注意を向け、それからその法の上に定じて動かなくなる。少しの妄念もない。これが意根が禅を参じ究める状態である。

意根の思量 (manasikāra/manana) は深くて遅いが徹底しており、意識の思惟は速くて浅く、徹底せず透徹しない。意識の思惟は前行の方便であり、その目的は意根の思考を引き起こすことにある。最初はこれは必ず経由しなければならない過程である。意根の思量参究の中には、ほとんど得るところの知識がなく、知識量は増えないが、しかしきわめて趣があり、深く探求する趣があり、何かが見つかりそうで朦朧としている楽しみがある。開発されるのはみな自分の心田の中の智慧であり、この智慧は外から得るものではなく、外から得るものはみな知識である。この程度に達すると、疲れを感じなくなり、私は一午座することもできれば、一日座することもできる。ただ心に懸念があって、やむなく下座するのである。

——生如法師の開示
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諸仏菩薩はなぜ悪熏を受けないのか

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