見性は如来蔵が法を見る機能作用であり、如来蔵の見大種子によって形成される。如来蔵が法を見た後、七識はじめて見る能力を持ち、それぞれ対応する法を見ることができる。見性はまた仏性とも呼ばれ、如来蔵性とも呼ばれる。これは如来蔵の妙なる作用であり、仏性がなければ、一切の法は起用できず、生じることができない。それゆえ仏は、一切の法はすべて如来蔵性であり、すべて如来蔵の機能作用であると説かれた。
仏性である見性は覚性とも呼ばれ、如来蔵が諸法を覚知する性質である。如来蔵が諸法を覚知し了知した後、七識はじめて覚と知を持ち、諸法を覚了し、諸法を知見し、諸法を覚受することができる。それゆえ仏は、如来蔵の覚性は妙なる真如の性であると説かれた。一切の法はすべて妙なる真如の性であり、妙なる真如の性がなければ、一切の法は現れず、生じえない。この仏性である妙なる真如の性はこれほど重要であり、如来蔵の五遍行心所法と和合して、一切の法を完璧に顕現させ、五蘊世間はかくも繚乱で多彩な様相を呈するのである。
如来蔵は電球に譬えられ、仏性は光に譬えられる。電球が光を放ち諸法を照らし見ることで、はじめて諸法を運行でき、運行時に心所法が伴って起用する。仏性が妙用を現じ、諸法が顕現し、七識が法を見、八つの識が和合して運行する。
見性である仏性は、如来蔵本体に依ってはじめて起用でき、如来蔵本体そのものと等同ではない。しかし永遠に無条件で起用できるわけでもなく、ここには一種の生滅現象が潜んでいる。ただし、仏性の起滅と五蘊世間法の起滅を混同して区別しないでよいわけではなく、両者には本質的な区別がある。
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