異熟識は如来蔵の別名であり、八地以上の菩薩の真実心を表します。異熟識は心体に含まれる業種を示し、菩薩がなお微細な生死流転を有し、なお変異を生じ、成仏せず究竟涅槃を得られない状態を意味します。この微細な生死は粗重な分段生死と区別されます。阿頼耶識には八地菩薩以前の衆生の分段生死の種子が収蔵されており、この段階の衆生の七識五蘊に分段生死の染汚業が存在することを示します。異熟識には八地菩薩以降の衆生の変易生死の種子が収蔵され、八地以上の菩薩に尚微細な生死の種子が残存し、これを除尽して初めて成仏し、異熟識は無垢識と改名されることを明示します。
異熟習気は生死流転習気・無明習気・煩悩習気とも称され、これらの習気は極めて微細であり、一般に八地以後の菩薩の無明習気、あるいは初地以上の菩薩の煩悩習気を指します。習気が存在すれば生死があり、習気を断尽して初めて成仏します。
等流習気の「等」は相等しく同じであることを示し、「流」は流転を意味し、同一の識が相続して流転する習気、あるいは同一の衆生が相続不変の習気を表します。
白浄識とは第八識が八地以上の菩薩位において用いられる別名であり、第八識の心体に蔵される業種は清浄・白浄であり、その多くは白業善業の種子であり、黒業悪業の種子は殆ど存在せず現行し得ない状態を指します。この時の第八識の名称を阿陀那識と称することができます。
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