衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成
トップページ
日常法話
清浄法音
書籍作品
二乗の解脱
《雑阿含経 第一卷 選講》
《五蘊を観じて我見を断ず(第一部)(第二版)》
《観行五蘊我見断ち(第二部)》
《四念処経講話 第二版(新修)》
《七覚支概説》
《阿含経十二因縁釈》
《四念処の観行体験》
禅定の法門
《禅定の修めと参禅証道(第一部)》
《禅定の修めと参禅による悟りの道(第二部)》
《座禅三昧経講義》
総説
《仏法雑談(第一部)》
《仏法雑談(第二部)》
《日常法話集録》
情報公開
生如法師
繁中
日語
日常法話
2025年03月04日 火曜日 第1開示
合計4337開示
悟後の心行転換
禅宗の祖師はこう言われた:「悟後不異舊時人、只是不是舊時行履処」。つまり、悟りを得た後も、人としては元のままであるが、人と接する心の行いが変化し、以前とは異なり、過去の心の行いとは別物となり、物事への取り組み方の心構えが変わり、世界に対する見方が変わり、五蘊の身についての見解が変わるという意味である。これらの変化は、悟りが単に意識の悟りだけでなく、意根が必ず悟らなければならないことを示しており、そうしてこそ悟りを得た後に「旧時の人と異ならず」でありながら「旧時の行履処ではない」のである。もし行いの場に変化がなく、心の行いや本性に変化がないならば、自らが真の悟りを得たのか偽りの悟りなのかを検証すべきである。
——生如法師の開示
閲覧数:519
7
+1
シェア
前へ
直観による悟りこそ真の悟り
次へ
意識は想うに帰し、意根は為すに帰す