問:自ら戒を受けることを発願し、黙って戒を保つ、あるいは心の中で仏に戒を求める場合、伝戒師に戒を求めずに受戒したことになるのでしょうか?もし破戒した場合、破戒罪は生じるのでしょうか?自律によって戒行をほとんど犯さない状態になってから、受戒師の元で改めて受戒することは可能でしょうか?
答:心の中で仏に戒を求めたとしても、形式的に戒を求めず受戒していなければ、仏菩薩や護法神が授戒に来られることはなく、受戒・得戒したことにはなりません。受戒・得戒していない状態での戒律保持は「持戒」には属さず、それでも福徳は生じます。持戒には戒福と功徳がありますが、戒がなければこの持戒による福徳と功徳は得られません。
自らの行為を律し、自覚的に戒を守り犯さない状態になったら、寺院の僧侶の元で授戒を求めるべきです。戒は僧宝のもとで求め受ける必要があるためです(在家菩薩戒は在家の受戒居士から授かることも可能です)。四十里(約16km)の範囲内に僧宝がいない場合は、仏前で自誓受戒(自ら誓って受戒すること)ができますが、自誓受戒にも受戒の形式が必要であり、諸仏菩薩が密かに授戒されます。伝戒者の戒行が清浊であればあるほど、受戒者は戒体を得やすく、戒品も高くなります。伝戒者が破戒し戒体を持たない場合、その授けた戒は効果がなく、受戒者は得戒しません。得戒していない以上、破戒ということはありません。
問:どのように懺悔すれば業を早く消せるのでしょうか?
答:悪業を造った者、身・口・意の行いが法にかなっていない者は、公に懺悔すれば業を早く消せます。口業が重い者は公に懺悔すれば、再び犯しにくくなります。心を降伏させれば、身・口・意の行いは次第に清浄になり、染汚は徐々に清浄へと転じます。良師益友を多く交われば大きな利益を得られ、邪師・悪友・損友を交わらなければ、善法財は増える一方で減ることはありません。人と交わるなら君子と交わり、小人とは交わってはいけません(小人を捻じ曲げ導く能力がない限りは)。もし小人の言いなりになれば、自分もすぐに小人になってしまいます。
過ちを犯した後、相手(当事者間)に懺悔するのと、大衆の前で懺悔するのとでは効果が全く異なります。大衆の前で懺悔すれば、業は多く速やかに消えます。なぜなら、過ちが知られることで報いを受けることになり、知る者が多ければ多いほど受ける報いも多くなり、同時に自身への拘束力が大きくなるからです。業は早く消えます。もう一つは仏前での懺悔ですが、一般に仏前懺悔の効果は大きくありません。それは仏を目の前に実在するものと捉えていないため誠心が足りず、大衆の前での懺悔が最も効果的で、改めるのも早く、人から非難されればされるほど業は早く消えるからです。ですから、皆さんは何事も直接話し、陰で言ってはいけません。陰で言うのは誠実さに欠け、噂話を広める疑いがあり、他の人が過ちを知り改めるのに不利で、さらに人に業を背負わせることになります。直接誠実に話せば、人が知って改めるのに役立ち、自分も福を得られます。
大業を成し遂げたい者は、自分に厳しくある必要があります。自分の欠点を簡単に見逃してはいけません。ある道理を一旦心の関門を通り越せば、全ての事は大したことではなくなります。無我の者の心は坦々として軽やかで、大した問題は何もなく、面子も重要ではありません。自分に厳しくすることは何も悪くなく、目にごみを入れることを許さず、自分の過ち、特に貪・瞋・痴の煩悩を許容してはいけません。
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