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日常法話

2025年12月13日    土曜日     第1開示 合計4548開示

金剛経講義.法会因由分第八

原文:須菩提よ、汝はどう思うか。もし人が三千大千世界を満たす七宝をもって布施を行うならば、この人が得る福徳は甚だ多いか。須菩提は言う。甚だ多いです、世尊。なぜならば、この福徳は即ち福徳の本性ではなく、それゆえに如来は福徳が多いと言われるのです。もしまた人が、この経典の中で受け持ち、さらには四句偈などを保ち、他人のために説くならば、その福徳は彼に勝る。なぜならば、須菩提よ、一切の諸仏および諸仏の阿耨多羅三藐三菩提の法は、皆この経から出るからである。須菩提よ、いわゆる仏法とは、即ち仏法にあらず。

釈:須菩提よ、汝はどう思うか。もし人が三千大千世界の七宝をもって布施を行えば、この人が得る福徳は甚だ多いのではないか。須菩提は言う。甚だ多いです、世尊。なぜそう言うのか。このような布施が得るのは福徳であって福徳の本性ではなく、福徳の本性には多少の区別がないからこそ、如来は福徳が多いと言われるのです。仏は言われる。もし人がこの金剛経の中で、少なくとも一つの四句偈を受け持ち修持し、他人のために宣説するならば、得る福徳は七宝を布施する福徳よりも勝れていると。なぜそう言うのか。須菩提よ、一切の諸仏および諸仏が仏となる法は、皆この経(金剛心)から生じ出るからである。須菩提よ、いわゆる仏法とは実有の法ではなく、仮に仏法と名付けるのである。

三千大千世界の七宝には、南瞻部洲の地球上にある人間界の七宝、北倶盧洲・西牛賀州・東勝神州の七宝、四大海龍宮の七宝、七金山の七宝、須弥山の七宝、四天王天の七宝、忉利天の七宝、焔摩天の七宝、兜率陀天の七宝、化楽天の七宝、他化自在天の七宝、色界十八層天の七宝が含まれる。そして一つの三千大千世界には、十億の四大洲、十億の四大海、十億の七金山、十億の須弥山、十億の四天王天、十億の忉利天、十億の焔摩天、十億の兜率陀天、十億の化楽天、十億の他化自在天、十億の初禅天、百万の二禅天、千の三禅天、さらに四禅天、五不還天、四空天、無色界四天がある。

これほど多くの星体・山海の七宝は計算できず、もし全て布施すれば、その福徳はなおさら計算できない。しかしながらこのような財宝を布施する行為は、全て有為法・生滅法であり、また有量数の法であるから、磨滅し、消耗し尽くし、享受し終えることができる。欲界の幾層かの天で天主となり、天宮に住み、天子天女たちと幾世・几十世も遊楽すれば、福徳は享け尽くされ、その後は福のない貧窮者となり、三悪道に堕ちる機会は依然として大きい。しかしながら無為の福というものがあり、それは永遠に消えず、永遠に磨滅しないものであり、それが如来蔵の有する福徳の本性である。

如来蔵には地水火風の四大種子が含蔵されており、この四大種子が和合して様々な比率で七宝・百宝、無数の宝を構成する。三千大千世界の七宝・七金山・須弥山・四大海・天宮、そして三千大千世界全体、十方諸仏国土は全て衆生の如来蔵から来る。全ての衆生の色身、声聞縁覚菩薩の色身、仏の色身はそれぞれの如来蔵から来る。如来蔵の福徳は数量がなく計算できず、衆生にもたらす福徳も無量無辺で数えられない。有為の福徳は計算でき、多い・大きいと言えるが、無為の如来蔵の福徳性は計算できず、多さや大きさで表現・比喩できない。どれほど多くても少なく、どれほど大きくても小さく、数量さえあれば小さい。あの無量で表現できないものが、最大最多なのである。ゆえに無為福は有為福よりもはるかに勝れている。

ではどうやってこの無為福を修めるのか。仏は言われる。もし人が金剛経を学修し、経中の真実の義理を受け持ち、金剛心を証得した後に、他人のために講説すれば、たとえ経中の一つの四句偈を宣説することしかできなくても、得る福徳は七宝を布施する福徳をはるかに超え勝る。金剛経はこの金剛のように堅固で永遠に壊れない如来蔵の体性を宣説するものであり、如来蔵には無為・無住・無相・無生・無滅の真実性と清浄性があり、これを証悟すれば根本無分別智を得る。さらに如来蔵の様々な功徳を観行すれば、差別智あるいは後得智を得て、智慧が次第に深く鋭くなり、福徳が漸増する。そして如来蔵に含蔵される種子を修学し、一分の道種智があれば初地に入り、聖人となる。

如来蔵の種子機能を修学すればするほど、智慧は広く深くなり、八地に入ると、加行作意なしに直接迅速に一切の必要な物質、山河大地・金銀珠玉などを変現でき、また一つの三千大千世界仏国土を変現でき、さらに無量の神通三昧を発起して衆生を利益できる。修行が進むほど智慧は深まり、徳能は大きくなり、分身は増え、衆生を度すほど多くなり、仏道を成就すれば智慧は辺なく、福徳は無量となる。この全ては如来蔵を証悟することを基礎として発起するのであり、一切の徳能と利用・神通三昧は如来蔵から来る。証悟しなければ何の功徳も受用もなく、大智慧も大福徳も得られない。

仏は須菩提に告げられる。なぜ証悟後にさらに人に宣説すれば、その福徳が七宝を布施するより勝れるのか。一切の諸仏および諸仏の説く仏法は、皆この金剛心如来蔵から来るからである。如来蔵を証悟することを基礎として如来蔵の種子機能を修学すれば、以後次第に仏道を成就し、菩提を円満できる。諸仏の三大阿僧祇劫に修行した善法の種子は皆自らの如来蔵に存在し、無明は滅尽する。諸仏は如来蔵を証悟したゆえに成就し、さらに衆生のために一切の成仏の法を宣説する。説かれる法もまた諸仏自心の如来蔵から流露するものである。

仏は須菩提に言われる。いわゆる仏法とは、即ち仏法にあらず。この言葉は主題に緊密に結びつき、この一品の中心句となる。仏の説く一切の成仏の法、それがいわゆる仏法であり、人が仏の説く法を仏法と称する。しかし仏の説く法は、仏が修持した法種が仏の如来蔵に留まり、様々な因縁によって演説されたものであり、この法種は後天的に蓄えられたものであり、後天的に形成されたものであり、本来の法ではない。仏が演説した後は、因縁によって生じた法であり、本来有る固定的な法ではない。既然にして本来有る固定的な法でなければ、真の意味での仏法ではない。

真の意味での仏法は本来有り、永遠不変で、不生不滅であり、因縁によるものではなく、本来のままのものであり、法爾として然る如来蔵・無垢識・真如・第一義諦・第八識・異熟識・大円鏡智である。その他は全て人が名付け呼称したものであり、方便として仏法と説く。要するに、世出世間の法で真如一法のみが真実の法であり、真の意味での法であり、本来の法・実相の法である。その他は皆後天的に生起し、因縁によって形成され、生滅する法であり、実相の法ではない。


——生如法師の開示
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