衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年04月24日    金曜日     第1開示 合計4691開示

境随心転

如春:今夜、変色して味も変わってしまったご飯を前に少し迷いました。習性に従って捨てるべきか、それとも道業を精進して、飲食の良し悪しに貪執せず、お腹が満たされればそれでいいと考えるべきか。すぐに後者を選び、ご飯を煮直して食べました。美味しくないだろうと思っていましたが、結果は想像していたよりずっと美味しく、あっという間に食べ終えました。箸を置いた瞬間、突然ある種の悟りが生じました。なるほど食べ物そのものには本当に固定した味などなく、私たちが日頃口にする味はすべて、如来蔵 (tathāgatagarbha) が業種を用いて変現して私たちに与えてくれるものなのだと。私たちが食べているのは自分自身の業種と福報なのです。もし不味いものを食べたとしても、むしろ幸運だと思うべきです。業種には良いものも悪いものもあるので、先に悪い種子を消化してしまえば、後に残るのは良い種子になるからです。逆に、先に福報の種子を使い果たしてしまえば、後に残るのは苦の種子だけになってしまいます。

私が道を求める心を抱いて腐ったご飯を食べたとき、心の状態は美しいものでした。だからこそ美味しさをも味わうことができたのです。今回の体験を通じて、諸法がもともと自性を持たないことへの理解が深まり、自分が道に少し近づいたように感じました。内心に喜びが湧き上がりました。この状態のまま座につくと、気の感覚がとても良く、全身が空気を充填したかのようで、特に頭全体が締め付けられ膨張し、こめかみが張って痛くなるほどでした。定の中で、誰かが自分の上半身を服を脱ぐように脱がせていくような感覚がありました。

評:食べ物そのものに固定した味がないとはどういうことでしょうか。それは食べる者の心境、認知、そして福德が異なることによって生じるもので、心が境を転じる、境は心に随って転じると言います。その食べ物を何だと思えばそれが何であり、毒だと思えば毒になり、美味だと思えば美味になるのです。心はすべてを変え、その福德に随って変化します。心に毒のある人は、仏法の甘露さえ毒薬に変えてしまいますが、それは自分自身の問題です。心が非常に汚れている人は、三宝に泥を浴びせ、その結果、三宝によって無間地獄に堕ちることになりますが、それも自分自身の問題であり、三宝の問題ではありません。心は万物の主です。心を捉え、心を把握すれば、地獄は天国に変わり、邪心・悪心は天国を地獄に変え、どこへ行っても地獄の感覚にさせます。一切法は自性がなく、心にも自性がないのです。だからこそ衆生の心は仏の心に変じることができるのです。如春の修行は業障の関を越えてから突飛猛進しており、すべてが期待できます。実に素晴らしいことです!

——生如法師の開示
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