衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2018年10月25日    木曜日     第5 回の開示 合計951回の開示

意根の無明と結縛を断ち切ることによってこそ解脱を得る

生死輪廻と三悪道の輪廻は、意根の無明によって生じるものであります。意根の無明が破られなければ、十二因縁の生死の連鎖が続き、衆生は意根の無明に縛られて六道を離れられず、三悪道に縛られたまま解脱を得られません。無始劫以前より、意根は無明の故に本我と真我を知らず、法界の実相を悟らず、本心を守ることを知らぬまま、心を外に向けて貪り求め、五蘊身が虚しく生死輪廻の苦しみを受けるに至りました。意根が無明の故に内に妄動を起こせば、如来蔵は意根に随順して宇宙器世間を生じ、衆生の五蘊身を現出させ、三界の世間法が顕現するのであります。衆生が三界において無量劫にわたり生死輪廻を続け、今なお終わりを見ないのは、まさに意根の無明と意根の結縛によるものであります。修行とは意根の種々の結縛と無明を断じ、無明の束縛から解かれ、生死の様々な繋縛を離れ解脱を証得する道であります。

さて我見を断ずるには必ず意根の我見を断除せねばならず、その後初めて意根自らの貪瞋痴の煩悩を薄らぐことができ、さらに進んで意根の貪瞋痴を断除し、最終的に意根の我執を断じ得るのであります。もし初果において意根の我見を断じなければ、二果における貪瞋痴の稀薄もなく、三果における貪欲と瞋恚の断除もなく、まして四果における貪瞋痴慢の煩悩断尽も我執断尽の境地もあり得ません。これにより、意根の我見は初果時に断除され、四果時に至って我執を断ずるというこの修行の理路を、我等は明らかに認識すべきであります。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

《大乗顕識経》解説

次の記事 次の記事

身心の転換は証の重大な指標である

ページのトップへ戻る