衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年10月26日    金曜日     第3開示 合計957開示

意識の解は意根の証ではない

神通はいかに容易に修得できるように感じられるか、意識の感覚・理解は証得したことになるのでしょうか。もし証得していれば、神通は直ちに現れるはずです。もし神通が現れないならば、神通を証得していないのであり、その場合、意識の理解は何の役にも立たず、力を発揮できず、わずか一糸一毫たりとも解脱の功徳受用を得ることはできません。断我見(ahaṃkāra-mamakāra-parityāga)と明心も同様で、意識の理解には一糸一毫の功徳受用もなく、真の断我見ではありません。意識がどのように五陰(pañca-skandha)は無我であると考えようとも、それは無我を証得したことにはならず、断我見ではありません。したがって、書を百読すれば義おのずから現る、といっても役には立たず、依然として意識の解であって、意根の証ではないのです。この道理は極めて重要です。諸位におかれては心に入めて細かに思惟され、再び情思意解を尊とし大とし貴とすることなく、自ら誤ってさらに人を誤ることがないように願います。

——生如法師の開示
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五陰無我を明白することは断我見に非ず

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見地の違いが行いの違いを導く

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