衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年08月31日    土曜日     第1 回の開示 合計1888回の開示

三宝を供養する福徳は無量無辺なる大いなるもの

出家者の戒律には「一坐而食」という規定があります。食事の際は一度に盛り付け、座ったまま完食するまで起立してはなりません。途中で立ち上がって再び盛り付けたり、歩き回って再び食べることは許されず、身体を起こした時点で食事を終えたと見做されます。仏在世の出家者は日中一食を守りました。托鉢は時間を浪費するため、一日一食で多くの修行時間を確保したのです。日に二度三度と托鉢すれば時間を浪費するばかりか、世人や外道から「出家者は食べることに貪り修行がない」と誹謗される要因となりました。第三に過食は消化活動で心が清浄を失い修行を妨げ、福徳を消耗して道業の向上を阻みます。これら諸因縁を総合し、僧団は日中一食の戒律を制定したのです。

出家者が托鉢するのは、衆生に福田を耕す機会を与え、福徳を積み解脱を得る縁とするためです。衆生が布施すればするほど福徳は増大し、解脱の可能性も高まります。出家者が托鉢することで衆生が貧しくなることはなく、むしろますます富貴になります。仏教が滅びる原因は多岐にわたりますが、主に衆生の善根福徳が薄れ、仏法に遇う福を失い、さらに魔波旬の仏教破壊が加わるため、必然的に衰微して滅びに至るのです。衆生が出家者に布施することを仏制では拒むことを許さず、衆生に福を種させました。さもなければ衆生は福徳なく、六道を流転し貧窮に苦しむことになります。自ら福田を耕せることは三宝に感謝すべきことで、この縁なくして何時解脱を得られましょうか。

仏は経中で、仏陀を供養する功徳が無量無辺であると説かれました。特に成道直後の最初の食事と涅槃直前の最後の食事を供養する機縁を得た者は、最速で仏果を得て他を超越します。成道後の最初の食事は牧牛女の乳粥供養であり、涅槃前の最後の食事は鍛冶屋チュンダの供養でした。多くの人々が最後の供養を懇願する中、仏陀は鍛冶屋チュンダの申し出を待たれました。これは前世でチュンダに涅槃時の最後供養を約束されていた縁によるものです。三宝を供養する機縁を得ることの福徳は、計り知れないほど大きいことが示されています。

——生如法師の開示
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