早期に我見を断じたいと願うならば、普段から自我の意識を薄めるよう心掛ける必要があります。自らの思考を観察し、それが全て「我」ではないかと省み、自我意識が強いと感じた時は直ちに覚り、あるいは自らを戒め、自我に従順になり過ぎないようにすべきです。挫折を感じる時こそ、自我を観察し、自我を調伏する良い機会であります。我があるからこそ挫折を感じるのであり、自我を克服すれば、挫折感は薄れやがて消滅します。これは我見を断つために大いに役立つ修行であります。
人々の中にあっても独り居ても、自らの存在感を弱め、己を過度に気にかけず、必要以上に自分を特別視してはなりません。勝ち負けに拘らず、何事も第一を求めないことです。自己は実在せず、相手も実在せず、集団も実在しない。第一も第二もなく、最良も最悪もない。これらは全て仮の名相に過ぎません。常に「全ての人に勝たねば」「目立ちたい」「皆の注目を集めたい」という思いは我執が強く、我見を断つどころか聖人にも成り得ません。聖人の心は空無為であり、このような心性ではありません。自己を突出させようとすればするほど、心性は人後に落ち、無為と相応せず聖人には成れません。聖人の誕生はこれと正反対で、自己存在感がなく、有為の事を行いながら心は無為、ひたすら大衆のために尽くす者こそ、聖人となる資格を具えるのであります。
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