衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年09月04日    水曜日     第3 回の開示 合計1898回の開示

執着すればするほど、解脱に近づきます

生体から摘出されたばかりの内臓は、いずれも鮮やかに生命力を保ち、神経細胞が活動し、生命徴候が明らかである。なぜ内臓が体外に離れても鮮やかなのか。それは末那識の執着がある限り、如来蔵が種子を出力して内臓器官の生存を維持するからである。

人間の臨終時の様相を見れば、各人の末那識の身体への執着性は、身体を強く執着する者ほど死の過程が遅く苦痛が多く重く、身体への執着が軽微な者ほど死は迅速で苦痛も少なく軽い。地獄に趣く衆生はこの限りではない。身体を強く執着する者は煩悩の重い者であり、このような者は善業が軽微で、往生時に瑞相が現れず、行くべき所を知らないため身体を強く執着し、執着すればするほど苦しみが増す。これは悪循環であり、修行なき凡夫はこの輪廻から脱することはできない。善業が多く大きい者は往生時に往々にして瑞相や吉兆が現れ、身体への執着が薄いため死は迅速である。

故に平常より自らを訓練し、人事物理への執着を極力減らせば、臨終時に苦痛が少なく、日常の生活においても苦痛は極めて少なくなる。それゆえ執着を減らせば減らすほど解脱に近づき、生きることがより軽やかになる。何に執着しようともそれは重荷であり負担である。執着そのものが無明の現れであり、智慧ある者はこれを明らかに見極め、放下することができ、人事物理に執着して自らに負担を増すことはない。

——生如法師の開示
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