衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年09月09日    月曜日     第1 回の開示 合計1906回の開示

六識には睡眠という一法がない

意識に睡眠はあるのでしょうか。何をもって意識の睡眠というのでしょうか。もし意識に睡眠があるならば、意識は存在し続けなければならず、滅することはありません。睡眠時に意識が滅びないのであれば、いったい何を眠っているというのでしょう。

例えば私が娑婆世界に親族縁者を持っている場合、私が娑婆世界を離れる時、娑婆世界の親族縁者は依然として私のものなのでしょうか。私の管轄下にあるのでしょうか。彼らに何事があっても私とは関係なく、私は責任を負いません。睡眠という法には意識も五識もなく、睡眠という事象と滅した六識に何の関係があるのでしょう。事があれば意根が処理します。もし意根が処理できない場合、六識に処理させれば睡眠はなくなり、六識には依然として睡眠心所法が存在しません。

睡眠の味わいを享受し睡眠を受用するのは誰でしょうか。六識がなければ六識では受用できず、もちろん意根が睡眠を受用しています。もし意根が睡眠を受用したくないなら、眠らないと決定し、意識がどう抗議しても無駄です。もし意識が睡眠を享受すれば、翌日は元気がなく、おそらく活気を失い、物事も上手くできず、精力も不足するでしょう。これは特殊な状況であり、通常の状態ではありません。ゆえに意識に睡眠があるとは言えず、意識は睡眠の現場におらず、睡眠という事象には意識が見当たりません。

ただ睡眠と言う場合、その大まかな状態はどうか、全ての人に共通する点は何か、通常の状態は何でしょうか。特殊な場合は除きます。睡眠の総体的状況は六識を滅することであり、滅するのは五俱意識であって、独頭意識を含むとは述べておらず、このような複雑な身心の休息状態は、夢の有無に関わらず存在します。独頭意識は有夢睡眠と相応しますが、これは特例であって通常の状況ではありません。ゆえに睡眠の中に六識はなく、六識は睡眠しません。

真の睡眠とは六識を滅し、明了意識なく、五俱意識のない休息状態であり、この状態には六識が存在しません。したがって六識に睡眠という法はありません。意根が睡眠の有無を制御し、六識の生起と滅を司るのです。

——生如法師の開示
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意識は我にあらず、我がものにあらず。

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