明心の第一の要点は、第六識と第七識が正常な状態にあり、比較的穏やかで心が平穏であり、定力を具え、思惟観行の智慧を備え、五陰身の問題を比較的よく理解し熟知していることです。我見を断じた後、あるいは我見を断ずるに近づいて初めて、明心の機会を得ることができます。
大多数の人々は正常な状態においても明晰な思考を持つことができず、我見を断ずることも明心することもできません。ましてや極めて異常な状態においては、なおさら明晰な思考を持つことは不可能で、我見を断じて明心することはできません。例えば気絶状態、無夢睡眠・有夢睡眠状態、中有の身の状態、死後に中有の身が生起する前の状態、激しい怒りの状態、極度の衰弱状態、艱難辛苦の状態、朦朧状態、発狂状態、精神錯乱状態などにおいては、意識が正常に思惟することができないため、どうして悟りを開くことができようか。
無余涅槃において明心開悟は可能でしょうか。第六識・第七識が存在せず、開悟者もいないため、開悟することはできません。
気絶状態において明心開悟は可能でしょうか。意識がなく、思惟もなく、意根が恐慌状態にあるため、開悟できません。
無夢睡眠時において明心開悟は可能でしょうか。意識がなく、意根を導くことができないため、開悟できません。
有夢睡眠時に意識がある場合、明心開悟は可能でしょうか。意識が明晰に思惟できず、意根を導くことができないため、開悟できません。
死後、中有の身が生起する前に明心開悟は可能でしょうか。意識がなく、意根が恐慌状態にあるため、開悟できません。
中有の身において明心開悟は可能でしょうか。一般的な業障凡夫は中有の身において極度に恐慌し、未来を知らず、平静な心境で参究することなどできるでしょうか。禅定がなければ、開悟できません。
中般涅槃において開悟は可能でしょうか。中般涅槃は三果人が証得する涅槃であり、三果人は初禅以上の禅定を有し、一般的には四禅以上の禅定があって初めて中般涅槃を証得します。
家庭で小さな出来事が起きても心が平静でなくなり、正常に仏法を学び修行できません。ましてや中有の身において、中有の身が生起する前、夢の中や外においてはなおさらです。些細な出来事で手が震えて字も打てない状態で、どうして明心できましょうか。人が罵りに来ればすぐに耐えかねて罵り返すような者が、どうして明心できましょうか。日頃から悪業を多く造り、煩悩の重い人々は全て禅定のない者で、心が清浄でなく、興奮しやすいのです。
もし四禅定を有する者が中有の身において明心できるでしょうか。人間の身に四禅定を有する者は、定から出た時でも明心できます。なぜならこのような人は普段四禅定の中におらずとも、定力が相当に優れているからです。中有の身においても定力が相当に優れており、中有の身が彼に影響を与えることはないため、開悟することができます。四禅八定の利点は、人が常時心に定力を保ち、あらゆる人事を処理する際に平静かつ周到に、四平八穩で思惟を明晰にできる点にあります。
2
+1