衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年09月11日    水曜日     第1 回の開示 合計1909回の開示

グループ内の一研修生による中観行の体験

本日の朝課では、師尊の教示「それなら禅定の中で法義を思惟する訓練をし、意根に懸けておきなさい」に従った。

まず数度深呼吸し、身体の濁気を排出すると同時に新鮮な気を全身に満たし、鼻腔・喉・胸から気海(丹田)へ至り、一息入れて踵と足裏の湧泉穴まで圧し下ろすと、心は空霊で柔軟、和暢となった。

次に静坐して念仏を唱え、音声をもって仏事と為し、胸腹特に頭部の諸細胞を震動させ、経絡疏通・濁気浄化の作用を達成。頭部の気脈を念仏によって貫通させ、足底の気脈を頭部へ引き上げ、「南水北調供水工程」のような系統を形成し、南北大動脈を貫通せんことを目指した。

さらに静坐礼拝により任督二脈を緩め、心は既に澄み渡り安寧を得た。

ここに至り『楞厳経』第四巻の最も難解な法義、フゥーナが提起した「一切の根塵陰処界等は皆如来蔵にして清浄本然なり。如何にして忽ち山河大地が生ずるや」という問題を、禅定力を以て略読。読み進むに従い心は経文に専注し、文に随って観に入り理解を得た。

関連法義を整理後、意根に反芻を委ねると、時折意根が念頭を投げ出し、意識がそれを受け取る。ああ、『大般若波羅蜜多経』の法義だと直ちに『楞厳経』の法義と接合し、不明点は湯が氷を溶かす如く解消された。

元来、意識が法義を思惟する時、意根も内密に活動し、絶えず意識と黙々と契合する。これは禅定三昧の境地における両者の無縫接続である。

平常より法義に疑情あれば、意根は内密に準備を整え、静坐思惟の時至れば、意根は蓄えた法義を一気に放出。意識は受け取りつつ歓喜して曰く「兄弟よ、正にこの通り」と。未だ意根に懸ける間もなく、意根は堤を切って溢れ出た。

──兄弟よ、待ち侘びていたぞ。

故に平常の念茲在茲とは、意識と意根が「公婆離れず、秤と錘の如く」協働する状態。実はこれが動中の定力であり、『大勢至菩薩念佛圓通章』の憶仏念仏も、我々の平常の念茲在茲も同一。最終的には必ず仏を拝し、或いは心開意解、豁然として開朗となる。

今朝の朝課では意根による法義思惟で速やかに問題を解決し、また一時間余りの禅定を保った。

誠に禅定中の一日は、世上の千年に等しきものなり。

——生如法師の開示
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