衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2019年11月14日    木曜日     第2開示 合計2031開示

無明と智慧

無明は実有の法ではなく、実体がないものである。それゆえ滅除することができる。実法は滅除できない。たとえば真如自性如来蔵がそうである。智慧と無明は相対立するものであり、無明があれば智慧はなく、智慧があれば無明は消滅する。無明が滅し尽くされると、阿頼耶識 (Ālayavijñāna) は無垢識 (amala-vijñāna) と改められる。八地菩薩以前は、七識の無明が重いので、如来蔵の名を阿頼耶識 (Ālayavijñāna) と呼ぶ。これは、この段階にある衆生の七識・五陰 (pañca-skandha) の中に分段生死 (pariccheda-maraṇa) の業があるという意味である。智慧は後天的に生まれたものであり、無明に対応するものであって、生滅変異の法である。しかし諸仏の智慧は永遠に退かず滅しない。仏が永遠に衆生に戻ることがないのと同様である。

——生如法師の開示
前へ前へ

『楞厳経』第五巻二十五聖円通法門の優波尼沙陀

次へ 次へ

意識は覚性か

ページトップへ戻る