六塵は内六塵相分と外六塵相分に分かれます。いわゆる内外の区別は、前七識に対して言われるものであり、勝義根を有する衆生に対して説かれたものです。如来蔵にとっては、六塵に内外の区別はなく、如来蔵が観る六塵の境界は全て四大種子の構造を観るのであり、相を見ることはありません。一切の法は如来蔵の心内で運営され、永遠に心の外に出ることはなく、心の外に法は存在しません。これが「心外に法なし」の意味であります。
0
+1