問:以下の経文をどのように理解すべきか。
原文:転変とは、仏菩薩が禅定による自在の力に依ることをいう。もし地において水の勝解を起こせば、即ち水となし真実として他ならず;火・風の勝解もまた同様である。もし水に対して地の勝解を起こせば、即ち地となし真実として他ならず;火・風の勝解もまた同様である。もし火において地の勝解を起こせば、即ち地となし真実として他ならず;水・風の勝解もまた同様である。もし風において地の勝解を起こせば、即ち地となし真実として他ならず;水・火の勝解もまた同様である。
答:諸仏菩薩は深甚なる禅定の自在力に依り、地水火風を転換して世界を変化させることができる。例えば諸仏菩薩が大地を見る時、地性を水性に転じようと欲すれば、地大を見ることなく、この地大において水大を見るに至り、大地山川は河海江流と化し、河海江流以外の物質的塵境は存在しなくなる。諸仏菩薩が大火を見る時、強いて大火において水を見れば、火大の種子は水大の種子に転じ、大火は大水と化し、大水以外の物質的塵境は存在しなくなる。諸仏菩薩が大風の吹き起こるのを見る時、大風を滅除せんと欲し、強いて大風を大水と観想すれば、風大の種子は水大の種子に転じ、大風は大水に転変し、大水以外の物質的塵境は存在しなくなる。
もし諸仏菩薩が大水を見て、大水を滅除せんと欲し、強いて大水を大地と観想すれば、水大の種子は地大の種子に転じ、大水は大地に変化し、大地以外の物質的塵境は見られなくなる。諸仏菩薩が大火を見る時、大火の存在を望まず、強いて大火を大地と観想すれば、火大の種子は地大の種子に転じ、大火は大地と化し、大地以外の物質的塵境は見られなくなる。諸仏菩薩が大風の吹き来るのを見る時、大風の存在を望まず、強いて大風を大地と観想すれば、風大の種子は地大の種子に転じ、大風は大地に変換され、大地以外の物質的塵境は見られなくなる。
要するに、諸仏菩薩は深甚なる禅定を有するが故に、その心は自在であり、随意に四大種子を転換し、一切の物質的色法を改変し、意のままに一切の世界を変化させることができる。無量の神通力と智慧をもって一切の衆生を度化し、仏道に入らしめるのである。
心を一処に制すれば、成し遂げられざる事なし。外道も心を一処に制することができ、阿羅漢や辟支仏も心を一処に制することができ、諸大菩薩も心を一処に制することができ、諸仏はさらに心を一処に制することができる。皆、心に自在を得、相応して意のままに従い、相応する事業を成就することができる。ただし、禅定の深浅の程度が異なり、智慧が異なり、心量が異なるため、心の自在の程度も異なり、成就する事業もそれぞれ異なるのである。
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