四大元素によって構成された肉体——無情なる木片に、如来蔵と第七識が加わることで、生命の特徴を備えた有情となり、さらに六識が加わると、生命体に五蘊の見聞覚知活動が現れ、有情は活発に躍動します。
六識が消滅すると、五蘊の活動も消失し、有情は生命の兆候のみを留めます。第七識が肉体から離れ去り、如来蔵と共に撤収する時、有情は無情の木片となり、覚知を失います。
このように観ずるに、有情の見聞覚知活動は生滅無常なるものであり、真実ではなく、頼りにならないものです。如来蔵を除く一切の法は頼りになりません。木に頼れば木は倒れ、山に頼れば山は崩れ、水に頼れば水は枯れる——全ては頼りにならないのです。仏弟子は精進して修行に励み、世俗の法には一切求めず、ただ如来蔵に法を求め、固く如来蔵に依り頼むべきです。将来大自在を得る道はここにあります。
心の奥深くに無常の思想を植え付けなさい。無常が到来して途方に暮れる前に。自らが所有するものを掌握できると思ってはなりません。周囲の一切を制御できると思うのは誤りです。無常が訪れれば、全ては制御不能となります。
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