種子とは、その名の示す通り、種と子を有し、即ち生じる力を有するという意味であります。例えば植物の種子が植物を生長させるように、一切法の種子は一切の法を生じ出します。種子は七大種子と業力の種子を含み、七大種子は業力の種子が成熟する時、衆生の一切の法を生成することができます。衆生が業力の種子から離れると、七大種子は無用となり、如来蔵は衆生の業力の種子が成熟する時、七大種子を用いて衆生の業果報を造り出します。
業力とは、その名の示す通り、業行の力であります。この力は非常に大きく、大多数の衆生はこれを防ぐことが難く、ただ業力に従って漂流し、自らを抜け出すことは困難であります。この力とは即ち意根の力であり、意根は業を代表し、意根が力を持つのは、作主識であるが故に、意のままに振る舞うことができ、多くの場合意識ではこれを支えきれません。その後ろには如来蔵が一途に意根に従い、業力の種子を解き放つため、衆生はただ業力の中で苦しみもがき、生死の大海に浮き沈みを繰り返すのみであります。これに対処するには、意識が善法を修学し、絶えず力を蓄積し、意根の業力を誘導し対抗することにより、徐々に業力を転換させ、悪報を次第に軽くし、善報を段々と強めるほかありません。
0
+1