真実には二つの意味がございます。一つは世間の人々が認める、一時的に不変で見ることができ、聞くことができ、触れることができ、想像できる、認識可能な事物や道理を指します。もう一つは世間の人々が知らず見ることのできない出世間の道理を指します。
第一の真実には、宇宙の器世間が含まれます。衆生は接触可能で認識可能なものと感じ、不変で真実の作用があると考え「真実」と呼びます。五蘊の身は目に見え触れられる実体があり、真実の機能作用があると認識されます。六塵の境界は接触可能で六識が認識でき、真実の作用があると考えられます。しかしこれらの法は実際の理の次元では真実ではなく、幻化されたもので真実の作用がなく仮構の法であり、知られるものは全て錯覚です。衆生は無始劫より幻覚の中に生き、真実の道理を知りません。これらの法に一時的な虚仮の作用があっても、それは刹那に生滅し無常に変異するもので、同様に真実ではありません。衆生の智慧は事物の表面にしか及ばず、内奥に深く入ることができず、表面現象を通して背後にある真理を認識することができないのです。
第二の真実は、ただ衆生の根本であり、衆生が必要とする一切の法を生じる真如の第八識(阿頼耶識)を指します。これこそが真に不変の理体であり、永遠に生滅しない法であり、衆生が無始劫より依り所とする真実の存在です。二つの真実を比較すれば天地の差があり、比べるべくもなく、また比べるべき性質のものではございません。
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