菩薩の因明学は宗因喻と呼ばれ、宗は宗旨の観点を指し、因は論述すべき理論を指し、喻は譬喩や事例・事実を指します。宗因喻の運用方法を例を挙げて説明いたします。
ある者が「意根は六根の一つであり、五根と同じく有色根である」と主張したとします。我々が理法に適った論理的思惟を経て論証を加えるならば、意根は有色根ではなく無色根であると述べます。まず論証の主題、すなわち観点・観念・宗旨として「意根は無色根である」を掲げます。宗旨を提示した後、全面的かつ完全なる論述を加え、論拠と論理を提示し、理念を明らかにした上で、実例を挙げて証拠とし、事実をもって語ります。このように理論的論拠を宗旨に緊密に結び付け、実例を論証と理念に緊密に連動させることで、一環一環が緊密に連なり、隙間がなく、最も説得力に優れます。仮に反対する者がいたとしても、一二三と理路整然と反論できず、反対のための反対、議論のための議論に終始すれば、その反対や議論は無効となります。
もちろん厳密な論理的思考がなければ、智慧力が不足すれば、論拠も不十分となり、強力な理論的支柱を失い、論述した内容は宗旨の正当性を説明できません。もし思考が厳密でなく、論述が不完全であれば、隙間や矛盾が生じ、説得力に欠け人を納得させられません。挙げた事例が牽強付会であれば、論拠の正当性・合理性を補助説明できず、論拠の説得力は大幅に低下し、人を屈服させ得ません。論理的弁証力は修行者の智慧の次元を体現し、智慧が強大であればあるほど思考は緻密を極め、弁証力は増大し、説得力が増し、衆生を済度する能力も高まります。菩薩道を歩む者は、問題に遭遇すれば深く細やかに思惟観行すべきであり、不断に自らの論理的思惟観察力を高める必要があります。もちろん深甚な禅定を前提とし、思惟を要する時には一切の干渉を排し、全力を挙げて深思に励むべきです。
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