衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年02月04日    火曜日     第1 回の開示 合計2130回の開示

意根は有色根ではなく無色根です

十八界は六根・六塵・六識を含みます。六根とは眼・耳・鼻・舌・身・意の六根を指し、このうち前五根は地水火風の四大種子によって構成されています。浮塵根は身体の表面に存在し、衆生の肉眼で見たり触れたりすることができ、壊れ変異する性質を持ち、肉眼で観察可能な生滅現象を呈します。五根の勝義根は後頭部に位置し、手術によって確認可能な色法であり、同様に破壊と変異を免れず、生滅無常の苦法であります。五根が損壊する時、色身の機能は阻害され廃棄され、植物状態に至るか、あるいは生死に至ります。

一方、意根は地水火風の四大種子によって構成されず、識種子によって形成されるため色法ではなく心法であり、識心の機能作用を有します。色法は因縁によって生じる法であり、自主性がなく受動的に如来蔵と意根の和合によって生起顕現し、意根の推進作用なしには存在し得ません。仮に意根が推進しなければ色法は即座に消滅します。しかし意根は後天的に生じたものではなく、無始劫以前より如来蔵と共存し、如来蔵より識種子の供給を受け継続的に存在します。他の因縁を必要とせず、因縁所生の法ではありません。意根が何らかの縁に執着する限り滅びることなく存在し続け、五蘊世間もこれに伴って生滅を繰り返します。五蘊五根は絶えず生滅しますが、意根は決して滅びることなく、阿羅漢や辟支仏が涅槃に入る場合を除き、誰も意根を消滅させることはできません。色法を持たない識心である意根と色法を持つ五根の機能は大きく異なります。五根には識別機能がなく、心所法もなく、染汚性も清浄性もありませんが、意根の影響を受け、五塵を受容する機能は意根の指揮下にあり、五塵や五識を指揮することはできず、ましてや意根を指揮することはできません。ただし意根の感受と決断作用に影響を及ぼすことは可能です。

意根という心法の機能作用は非常に強力で、五蘊身に対して主宰と決断の作用を有し、一切の世間法の生起・変異・滅尽を主導します。識心の心所法作用を具え、染汚性と清浄性を併せ持ち、識別・了別・判断・主宰の性質、利を求め害を避ける性質、我執と無我性、愚痴と智慧、習気習慣と煩悩、遍計所執性を有します。これらは衆生の生死輪廻を決定し、涅槃への趣向を定め、仏道成就を成し遂げ、天上天下を意根が主宰します。色法である五根にはこれらの特性がなく、心法である意根のみがこれを具えます。故に意根は色法ではなく心法であり、無色根であります。根とは識心を出生する意義を有しますが、この所謂「出生」は直接的な生成ではなく、六識出生を導く最直接の縁であります。六識を直接出生するのは如来蔵であり、如来蔵は業縁と六根を仮りて六識を出生します。しかし意根が一切の法に対して無心であれば、如来蔵は六識を出生することができません。従って五根の生縁は極めて受動的であるのに対し、意根の生縁は非常に積極的で能動的であり、六識と一切法を出生する動力は極めて強大で、五根の出生の可否をも決定します。このような自主的な強大な動力は、無色の心法のみが有し得るものであり、有色の五根には有り得ません。故に意根は色法ではなく心法であり、無色根であって有色根ではないのです。

——生如法師の開示
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