心に内と外を分けるなら、外の心とは衆生が普遍的に発見し観察できる心意識を指し、内の心とは衆生が発見し観察しにくい心意根を指します。二つの識心は、一つは顕れ一つは隠れ、一つは明一つは暗、一つは深く一つは浅く、一つは変えやすく、一つは堅固で変えがたいものです。修行とは、まず浅い次元の意識に落とし込み、さらに深い次元の意根に落とし込み、まず初歩的に意識を転変させ、最後に究竟に意根を転変させることです。したがって、すべての煩悩と無明は、最初のものも明白なものも意識の次元にあり、最後のものも隠秘で深遠なものも意根の次元にあるのです。
この経から、仏が小乗法を説かれたとき、意根の法を明示的には説かれなかったものの、やはり隠れた形で意根について説かれていたことが分かります。隠して説かれたのは、一切の煩悩と無明はすべて意根のものであり、煩悩を断じるとは意根の煩悩を断じることであり、解脱とは意根の解脱であるということです。一切の法を意根に落とし込み、意根の問題を解決すれば、一切の法を解決でき、最終的に究竟に涅槃と解脱に到達できるのです。
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