衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年11月05日    月曜日     第2開示 合計984開示

内外の識心とは何でしょうか

仏は『大念住経』において五蓋を説く際、内なる貪欲と外なる貪欲、内なる瞋恚と外なる瞋恚、内なる睡眠と外なる睡眠、内なる掉悔と外なる掉悔、内なる疑惑と外なる疑惑があると述べられました。この内と外はそれぞれ何を指すのでしょうか。

心を内外に分ける場合、外なる心とは衆生が普遍的・自覚的に観察できる心の作用(識)を指し、内なる心とは衆生が認識しにくい深層の意根(マナス)を指します。二つの識心は、一つは表層的で一つは潜在的、一つは明瞭で一つは微細、一つは浅く一つは深く、一つは変容しやすく一つは頑固で変わりにくいものです。修行とはまず表層の意識に取り組み、次に深層の意根に至り、先に意識を初歩的に転換し、最終的に意根を究極的に転換することです。したがって、あらゆる煩悩と無明は、最初に顕著に現れるのは意識のレベルにあり、最終的で最も深く秘められたものは意根のレベルにあるのです。

この経典から、仏が小乗の教えを説く際、意根の法を明示的には語られなかったものの、暗に意根に言及し、一切の煩悩と無明は意根に帰属すること、煩悩を断つとは意根の煩悩を断つこと、解脱とは意根の解脱であること、一切の法は最終的に意根に帰着することなどを暗示されていたことがわかります。意根の問題を解決すれば一切の法が解決され、ついに涅槃と解脱の境地に至るのです。

——生如法師の開示
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