衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年11月07日    水曜日     第1開示 合計988開示

《大乗顕識経》解説

賢護よ、識がこの身を棄てて他生を受けるとは、衆生の死ぬ時、識は業障に纏われ、報い尽きて命終わることは、あたかも滅定の阿羅漢の識の如し。阿羅漢が滅尽定に入る時、その阿羅漢の識は身を離れて転ず。かくの如く死者の識は身及び界を棄て、念力に乗じて作す。これにより彼はかくの如く知る、我某乙生平の為したる事業は、臨終に悉く現れ、憶念明瞭なり。身と心、二つが受くる逼切を。

釈:仏は説きたまう、賢護よ、阿頼耶識がこの世の色身を棄てた後、また来世の色身に移り、別の色身を受ける(他生とは別の生を指す)。衆生が死亡する時、阿頼耶識は七識の造った業行の業障に纏われ、この一期の果報が尽き、臨命終時には、滅尽定に入った阿羅漢の阿頼耶識と同じである。阿羅漢が滅尽定に入り、滅尽定から無余涅槃に入ろうとする時、その阿頼耶識は色身から消え、寂滅の境界に入る。衆生の死亡時もまた同様に、阿頼耶識は衆生の色身と十八界を捨てる。阿頼耶識が身を捨てるのは意根の念力に随って為され、意根の思心所の機能作用に配合して為される。この時、亡者は自らこの生が終わったことを知り、この生に為した事業が臨終の一刹那に、全て脳裏に現れ、一つ一つが回憶でき、法塵は清晰明瞭であると同時に、身心全体が苦痛の逼切を感じるのである。

死者が一生に造った業行は、業種が留存し、臨終時には阿頼耶識は業種に随って、来世に流転する。もし畜生の業を造れば、畜生の業に纏縛され、阿頼耶識は畜生の色身を受ける。もし餓鬼の業を造れば、餓鬼の業に纏縛され、阿頼耶識は餓鬼の色身に移る。この生で受ける果報は終了する。命終わる時は、あたかも滅尽定の四果阿羅漢の阿頼耶識が色身を棄てて去る如し。

阿羅漢は四禅八定を修め終え、滅尽定に入る時、前六識は全て滅し、第七識と阿頼耶識が残る。第七識の五遍行心所法は、受心所と思心所を滅するので、第七識である意根には受の心所と思の心所がなく、了知の機能はない。なお作意・触・思の三心所が残り、依然として阿頼耶識が現起する根身器界に対して作意でき、色身の状況に対してはなお作意・触が可能で、その後思心所を生起し、決定を為すことができる。例えば決定心を生起し、六識を現起させて出定しようと意図したり、あるいは色身を全て滅して涅槃に入ろうと意図したりする。これらは全て意根の思心所が決定する。衆生が死亡する時の阿頼耶識の離身は、滅尽定の阿羅漢の第七識と阿頼耶識が身を離れて無余涅槃に入る情況と同一である。

——生如法師の開示
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